2009年02月23日
十五 灼熱のポンタロス
黒々とした低い雲から、シャワーの様に冷たい雨が地上に降り注いでいた。まだ昼前だというのに、太陽の光は分厚い雲に遮られ、辺りは夕暮れのように薄暗い。
五月十二日。五月二番目の日曜日はあいにくの天気と、事件に見舞われていた。
遠くから消防車と救急車のサイレンが近づいて来ていた。
「二つ!」
怒りの込められた叫び声と共に、空気に焦げ跡を残すような高速の蹴りが炸裂し、緑の物体が中を舞う。その物体は地面にたたきつけられる前に空中で発火し、紅蓮の炎に包まれた。
断末魔の叫びだろうか。生木が裂けるような音が、周囲に木霊した。蔦怪人の最期だ。
その蔦怪人を振り向くことなく、深紅のバトルスーツ姿、ポンタロスへと変身した唐手は拳を硬く握りしめた。倒すべき敵はまだ残っている。
ポンタロスの全身が燃えさかる炎に包まれていた。その熱量によって、降りしきる雨はポンタロスの体に触れることなく蒸発している。ポンタロスの周囲に蒸気が立ちこめる程だった。
怒りの爆炎。
ポンタロスの全身が高熱の炎に包まれる特殊装備で、ポンタロスに変身した唐出の怒りが頂点に達すると発動する。
灼熱のポンタロス。その異名は伊達ではなかった。
ポンタロスが炎の嵐となって吹き荒れる度に、緑色をした物体、蔦怪人がはじき飛ばされ、炎が踊り、奇っ怪な断末魔が響き渡った。
ポンタロスの後ろに三つの炎の固まりがあった。二つは倒され燃え行く蔦怪人。もう一つは火を噴く白いセダンだった。
浜松市役所前。燃えさかる自動車と蔦怪人、そしてポンタロスと未だ健在の蔦怪人を、車と人の群れが遠巻きに取り囲んでいる。残りの蔦怪人は3体。
唐手の脳裏に先ほど見た光景が蘇る。
燃えさかる車から距離を置いた路上で、右腕を押さえ額から血を流した男性が、心配そうにその傍らで横になっている女性を見つめている。三歳くらいだろう。一人の女の子がその女性の胸にしがみついて泣きじゃくっていた。
「許さん!」
ポンタロスは両手を大きく開き、天に向けて突き出すと、手のひらを合わせ、ゆっくりと胸の前まで下ろし、大きく息を吐いた。全身を包んでいた炎が身を潜め、冷たい雨がここぞとばかりにポンタロスの体を打つ。
ポンタロスの合わせた両手の辺りで、空気の層が揺らいだ気がした。その姿は、合掌している仏像のように、穏やかな雰囲気を漂わせていた。
蔦怪人達には、仲間をやられて戦意を喪失した気配はなかった。むしろ戦いの雰囲気に飲まれ、興奮しているようだった。ポンタロスの構えを目にしても、ひるむ様子はなかった。
黒板を爪でひっかいた時のような、耳障りな叫びを上げながら、蔦怪人達がポンタロスを取り囲み、じりじりとその距離を詰める。両腕から鞭のように伸びた緑色の蔦が、アスファルトの上で、意志ある物のようにのたうっている。
ポンタロスの正面に位置する一体は、他の二体より一回り大きく、両肩から大根のような葉が生え、その胸にはテロリストがその危険性を誇示するために身につける手榴弾のように、拳大のキウイフルーツを思わせる固まりがいくつもついていた。
倒した二体も含め、他の蔦怪人とは纏わせている雰囲気が明らかに違った。この一体がリーダーなのだろう。
そのリーダーが、木がきしむような音を発すると同時に、二体の蔦怪人が左右からポンタロスを襲う。右側の一体はポンタロスに飛びかかり、左の蔦怪人は両腕の蔦でポンタロスを横からなぎ払う。
二体の攻撃がポンタロスに触れる瞬間、居合い抜きの達人の立会を彷彿とさせるように、ポンタロスが静から動へと転じた。
急激に。しかし、ごく自然に。
蔦怪人達には、ポンタロスの姿が消えた様に見えた事だろう。
飛びかかってきた蔦怪人は、標的を見失ってバランスを崩した所へ、一体の怪人によって繰り出された蔦の直撃を受け、独楽のように激しく回転しながら路面にたたきつけられた。
仲間をたたきつけてしまった蔦怪人が、慌てた様子で周囲を見回す。果たしてその目にポンタロスの姿は映ったのだろうか。今度はポンタロスの強烈な蹴りを受け、先ほどの蔦怪人と同様にくるくると宙を舞うと、激しく路面に激突して動かなくなった。
瞬き一つする間に、二体の蔦怪人は動かぬ固まりと化した。
狼狽した様子のリーダー怪人の真横から、ポンタロスの声がした。蹴りを放った後、光速をしのぐ速さで移動していたのだ。
「バーニングハンド!」
一瞬で間合いを詰めたポンタロスの、合掌した両手から白い炎が吹き出した。
その手でリーダー怪人の片腕を掴む。瞬間、掴まれた腕から白煙が上がると同時に、木の焼け焦げる匂いが辺りに立ちこめた。
リーダー怪人が奇っ怪な声を発して反撃を試みたが、それより速くポンタロスの脚払いを喰らって地に転がされるのと同時に、太い枝を絞り折るような音がした。腕を極められ、折られたのだ。
しかし、リーダー怪人に痛みを感じている余裕はなかった。
ポンタロスは折った腕を放すと、リーダー怪人の両足を抱え、空に向けて大きく放り投げたのだ。
ポンタロスは、きっと上空の怪人をにらみ付けると、両手をその眼前に高く付きだし、弓を引き絞るように体を開きながら右手だけをぐっと引いた。その両手を繋ぐように白熱の炎が一本の矢となって形を表す。
「フェニックスアロー!」
ポンタロスが右手をふっと緩めた瞬間、白熱の矢は命を得たとばかりに上空の蔦怪人へ向かって飛び出した。初めは一本の矢だったその形が、大きく羽根を広げて羽ばたく鳳、フェニックスへと転じ、蔦怪人を貫いた。
声もなく、全身を高熱の炎で焼き尽くされたリーダー怪人は、火達磨となって低い音と共に落下した。その体は既に黒く炭化していた。
「成敗完了」
雨の中に立つポンタロスの耳に、サイレンの音がひときわ大きく聞こえ、消えた。振り返れば消防車と救急車が到着していた。
無事であって欲しい。
蔦怪人を倒したポンタロスに出来る事は、後は祈る事だけだった。
五月十二日。五月二番目の日曜日はあいにくの天気と、事件に見舞われていた。
遠くから消防車と救急車のサイレンが近づいて来ていた。
「二つ!」
怒りの込められた叫び声と共に、空気に焦げ跡を残すような高速の蹴りが炸裂し、緑の物体が中を舞う。その物体は地面にたたきつけられる前に空中で発火し、紅蓮の炎に包まれた。
断末魔の叫びだろうか。生木が裂けるような音が、周囲に木霊した。蔦怪人の最期だ。
その蔦怪人を振り向くことなく、深紅のバトルスーツ姿、ポンタロスへと変身した唐手は拳を硬く握りしめた。倒すべき敵はまだ残っている。
ポンタロスの全身が燃えさかる炎に包まれていた。その熱量によって、降りしきる雨はポンタロスの体に触れることなく蒸発している。ポンタロスの周囲に蒸気が立ちこめる程だった。
怒りの爆炎。
ポンタロスの全身が高熱の炎に包まれる特殊装備で、ポンタロスに変身した唐出の怒りが頂点に達すると発動する。
灼熱のポンタロス。その異名は伊達ではなかった。
ポンタロスが炎の嵐となって吹き荒れる度に、緑色をした物体、蔦怪人がはじき飛ばされ、炎が踊り、奇っ怪な断末魔が響き渡った。
ポンタロスの後ろに三つの炎の固まりがあった。二つは倒され燃え行く蔦怪人。もう一つは火を噴く白いセダンだった。
浜松市役所前。燃えさかる自動車と蔦怪人、そしてポンタロスと未だ健在の蔦怪人を、車と人の群れが遠巻きに取り囲んでいる。残りの蔦怪人は3体。
唐手の脳裏に先ほど見た光景が蘇る。
燃えさかる車から距離を置いた路上で、右腕を押さえ額から血を流した男性が、心配そうにその傍らで横になっている女性を見つめている。三歳くらいだろう。一人の女の子がその女性の胸にしがみついて泣きじゃくっていた。
「許さん!」
ポンタロスは両手を大きく開き、天に向けて突き出すと、手のひらを合わせ、ゆっくりと胸の前まで下ろし、大きく息を吐いた。全身を包んでいた炎が身を潜め、冷たい雨がここぞとばかりにポンタロスの体を打つ。
ポンタロスの合わせた両手の辺りで、空気の層が揺らいだ気がした。その姿は、合掌している仏像のように、穏やかな雰囲気を漂わせていた。
蔦怪人達には、仲間をやられて戦意を喪失した気配はなかった。むしろ戦いの雰囲気に飲まれ、興奮しているようだった。ポンタロスの構えを目にしても、ひるむ様子はなかった。
黒板を爪でひっかいた時のような、耳障りな叫びを上げながら、蔦怪人達がポンタロスを取り囲み、じりじりとその距離を詰める。両腕から鞭のように伸びた緑色の蔦が、アスファルトの上で、意志ある物のようにのたうっている。
ポンタロスの正面に位置する一体は、他の二体より一回り大きく、両肩から大根のような葉が生え、その胸にはテロリストがその危険性を誇示するために身につける手榴弾のように、拳大のキウイフルーツを思わせる固まりがいくつもついていた。
倒した二体も含め、他の蔦怪人とは纏わせている雰囲気が明らかに違った。この一体がリーダーなのだろう。
そのリーダーが、木がきしむような音を発すると同時に、二体の蔦怪人が左右からポンタロスを襲う。右側の一体はポンタロスに飛びかかり、左の蔦怪人は両腕の蔦でポンタロスを横からなぎ払う。
二体の攻撃がポンタロスに触れる瞬間、居合い抜きの達人の立会を彷彿とさせるように、ポンタロスが静から動へと転じた。
急激に。しかし、ごく自然に。
蔦怪人達には、ポンタロスの姿が消えた様に見えた事だろう。
飛びかかってきた蔦怪人は、標的を見失ってバランスを崩した所へ、一体の怪人によって繰り出された蔦の直撃を受け、独楽のように激しく回転しながら路面にたたきつけられた。
仲間をたたきつけてしまった蔦怪人が、慌てた様子で周囲を見回す。果たしてその目にポンタロスの姿は映ったのだろうか。今度はポンタロスの強烈な蹴りを受け、先ほどの蔦怪人と同様にくるくると宙を舞うと、激しく路面に激突して動かなくなった。
瞬き一つする間に、二体の蔦怪人は動かぬ固まりと化した。
狼狽した様子のリーダー怪人の真横から、ポンタロスの声がした。蹴りを放った後、光速をしのぐ速さで移動していたのだ。
「バーニングハンド!」
一瞬で間合いを詰めたポンタロスの、合掌した両手から白い炎が吹き出した。
その手でリーダー怪人の片腕を掴む。瞬間、掴まれた腕から白煙が上がると同時に、木の焼け焦げる匂いが辺りに立ちこめた。
リーダー怪人が奇っ怪な声を発して反撃を試みたが、それより速くポンタロスの脚払いを喰らって地に転がされるのと同時に、太い枝を絞り折るような音がした。腕を極められ、折られたのだ。
しかし、リーダー怪人に痛みを感じている余裕はなかった。
ポンタロスは折った腕を放すと、リーダー怪人の両足を抱え、空に向けて大きく放り投げたのだ。
ポンタロスは、きっと上空の怪人をにらみ付けると、両手をその眼前に高く付きだし、弓を引き絞るように体を開きながら右手だけをぐっと引いた。その両手を繋ぐように白熱の炎が一本の矢となって形を表す。
「フェニックスアロー!」
ポンタロスが右手をふっと緩めた瞬間、白熱の矢は命を得たとばかりに上空の蔦怪人へ向かって飛び出した。初めは一本の矢だったその形が、大きく羽根を広げて羽ばたく鳳、フェニックスへと転じ、蔦怪人を貫いた。
声もなく、全身を高熱の炎で焼き尽くされたリーダー怪人は、火達磨となって低い音と共に落下した。その体は既に黒く炭化していた。
「成敗完了」
雨の中に立つポンタロスの耳に、サイレンの音がひときわ大きく聞こえ、消えた。振り返れば消防車と救急車が到着していた。
無事であって欲しい。
蔦怪人を倒したポンタロスに出来る事は、後は祈る事だけだった。
2008年12月01日
十四 下山
ミルクの様に濃密な霧だった。木の葉で結露した霧がシタシタとしたたる音が、雨音に聞こえる。その中を、真佐井は一人山を下っていた。汗なのか霧なのか、雨合羽の中は下着までぐっしょりと濡れ、不快な事極まりない。瞬時に体温を奪う冷たい霧の中でなければ、雨合羽を今すぐ脱ぎたい気分だった。
真佐井は山を下りながら、迅修の言葉を思い出していた。
「言葉通り、時代が変わりました。雷弾流もそれに合った形へと、変わっていかなければ、時の流れの中に埋もれ、やがては消えていったしまうでしょう」
それは真佐井も感じていた事だったが、迅修の口から聞く事で、改めて現実の事なのだと再認識した。三十年近く前、剣志郎とともに研鑽を積んだ雷弾流総本山。その荒れ模様は、予想していた以上に進んでいた。当時は数多くいた門下生達の姿も、今は誰一人として残っていない。総本山には唯一人、頭首である迅修がいるのみである。
「今や、人工衛星で地上の全てを見る事が出来る時代です。雷弾流が生まれた遙か昔とでは、状況が違いすぎます。ここも、私の代で最期でしょう」
裏鳳来寺。
それが雷弾流のもう一つの呼び名だった。雷弾流の開祖、初代迅修も、元々は鳳来寺の僧の一人だった。初代が生きた時代は、後に源平合戦と呼ばれる戦があった時代である。寺院といえども、無力な状態では、無事でいられなかった。周辺農民が戦を避けて、あるいは、戦に敗れた者が寺院に身を寄せる事もあった。
兵士とは言え、徴兵される前は皆農民である。一切衆生の救済を解く仏教寺院としては、追っ手の軍隊がやって来たからと言って、簡単に追い出す訳にもいかなかったのだ。
自衛の為には、武術を身につけるひつようがあった。迅修はその中にあって、自ら新たな武術を生み出した。それが雷弾流である。
雷の如き速さと、破壊力をもった拳法。
雷弾流の歴史にはそう記されている。戦国時代以前は「雷弾流」ではなく「雷断流」の文字が使われていた様だが、鉄砲の普及と共に、「弾」の文字に変わったらしい。
雷弾流は、徳川家康の生母、於大の方(おだいのかた)の縁もあり、松平家とは家康が幼い頃より、極秘の交流があった。非公式ではあるが、身辺警護や諜報活動も行っていたと言う。もちろん、徳川の世になってからもそれは続き、伊賀や柳生とも、接触していた。
しかし、あくまでも裏鳳来寺である。
雷弾流の名が表の世に広まる事は無かった。
「これから先も、雷弾流の名が世に知られる事は無いでしょう。むしろ、雷弾流が無くても良い世の中が来る事こそ、本当に望むべき未来です」
迅修の言葉は、正論である。
でも・・・。
その言葉を聞いた時、真佐井の中には、迅修の様に割り切れない複雑な思いが渦巻くのを感じた。それは、真佐井が僧ではなく、武闘家である為の感情だった。
争いの無い世。
HAMAZOの目指すところも、確かに同じである。世界征服を狙う悪の秘密組織や、異星からの有害生物の来襲、異界の侵略者がいなくなれば、人々は平和に暮らす事が出来る。そう、HAMAZOが必要ない世界だ。
悪と闘いながらも、心の何処かでは悪を求めている。いや、正確には闘いの場を求めているのだ。汗を流し、厳しい修行に耐え、自らの限界を追い求めて手にした、戦う為の技術。それを発揮する場を。
真佐井は、そんな自分の心に気が付いてしまった。
そして、迅修もまた、そんな真佐井の心を知ったのだろう。
「人とは因果な生き物ですね」
そう言った迅修の顔は、少し寂しげに見えた。
それは、真佐井の胸中を思っての言葉だったのか。それとも、頭首という立場が無ければ迅修もまた、武人でありたかったからなのか。
長い沈黙が過ぎても、答えは見つけられなかった。
「どのような形であれ、次代に雷弾の教えを伝えていくのが、今の私の使命だと思っています。
下界で何が起きているか、私の耳にも入ってきています。真佐井さん、あなたにしか、彼を止める事は出来ないでしょう。
先代に成り代わり、私からもお願いします。松平剣志郎を頼みます」
最後に迅修はそう言って、真佐井に頭を下げた。
真佐井は無言で額を畳につけた。両の拳は震えていたかも知れない。
同門同士の対決許可を得たのだ。
雷弾流の使い手としては、最期になるかも知れない同門対決。その相手は、真佐井の目標であり、頼もしく誇れる兄弟子であった剣志郎。己の身につけた技の限りを尽くすのに、二人といない最高の相手である。
移りゆく時代の中、そのような相手に巡り会えた事は、奇跡に近い。
だが果たして。
それは真佐井にとって幸運と言うべきか、不運と言うべきか。
ただ、運命ではあった。それだけは確かだった。
剣志郎との対決は、避けられそうになかったからだ。
気が付けば、ミルクの様な霧は消え、山の出口がすぐそこまで迫っていた。
真佐井は山を下りながら、迅修の言葉を思い出していた。
「言葉通り、時代が変わりました。雷弾流もそれに合った形へと、変わっていかなければ、時の流れの中に埋もれ、やがては消えていったしまうでしょう」
それは真佐井も感じていた事だったが、迅修の口から聞く事で、改めて現実の事なのだと再認識した。三十年近く前、剣志郎とともに研鑽を積んだ雷弾流総本山。その荒れ模様は、予想していた以上に進んでいた。当時は数多くいた門下生達の姿も、今は誰一人として残っていない。総本山には唯一人、頭首である迅修がいるのみである。
「今や、人工衛星で地上の全てを見る事が出来る時代です。雷弾流が生まれた遙か昔とでは、状況が違いすぎます。ここも、私の代で最期でしょう」
裏鳳来寺。
それが雷弾流のもう一つの呼び名だった。雷弾流の開祖、初代迅修も、元々は鳳来寺の僧の一人だった。初代が生きた時代は、後に源平合戦と呼ばれる戦があった時代である。寺院といえども、無力な状態では、無事でいられなかった。周辺農民が戦を避けて、あるいは、戦に敗れた者が寺院に身を寄せる事もあった。
兵士とは言え、徴兵される前は皆農民である。一切衆生の救済を解く仏教寺院としては、追っ手の軍隊がやって来たからと言って、簡単に追い出す訳にもいかなかったのだ。
自衛の為には、武術を身につけるひつようがあった。迅修はその中にあって、自ら新たな武術を生み出した。それが雷弾流である。
雷の如き速さと、破壊力をもった拳法。
雷弾流の歴史にはそう記されている。戦国時代以前は「雷弾流」ではなく「雷断流」の文字が使われていた様だが、鉄砲の普及と共に、「弾」の文字に変わったらしい。
雷弾流は、徳川家康の生母、於大の方(おだいのかた)の縁もあり、松平家とは家康が幼い頃より、極秘の交流があった。非公式ではあるが、身辺警護や諜報活動も行っていたと言う。もちろん、徳川の世になってからもそれは続き、伊賀や柳生とも、接触していた。
しかし、あくまでも裏鳳来寺である。
雷弾流の名が表の世に広まる事は無かった。
「これから先も、雷弾流の名が世に知られる事は無いでしょう。むしろ、雷弾流が無くても良い世の中が来る事こそ、本当に望むべき未来です」
迅修の言葉は、正論である。
でも・・・。
その言葉を聞いた時、真佐井の中には、迅修の様に割り切れない複雑な思いが渦巻くのを感じた。それは、真佐井が僧ではなく、武闘家である為の感情だった。
争いの無い世。
HAMAZOの目指すところも、確かに同じである。世界征服を狙う悪の秘密組織や、異星からの有害生物の来襲、異界の侵略者がいなくなれば、人々は平和に暮らす事が出来る。そう、HAMAZOが必要ない世界だ。
悪と闘いながらも、心の何処かでは悪を求めている。いや、正確には闘いの場を求めているのだ。汗を流し、厳しい修行に耐え、自らの限界を追い求めて手にした、戦う為の技術。それを発揮する場を。
真佐井は、そんな自分の心に気が付いてしまった。
そして、迅修もまた、そんな真佐井の心を知ったのだろう。
「人とは因果な生き物ですね」
そう言った迅修の顔は、少し寂しげに見えた。
それは、真佐井の胸中を思っての言葉だったのか。それとも、頭首という立場が無ければ迅修もまた、武人でありたかったからなのか。
長い沈黙が過ぎても、答えは見つけられなかった。
「どのような形であれ、次代に雷弾の教えを伝えていくのが、今の私の使命だと思っています。
下界で何が起きているか、私の耳にも入ってきています。真佐井さん、あなたにしか、彼を止める事は出来ないでしょう。
先代に成り代わり、私からもお願いします。松平剣志郎を頼みます」
最後に迅修はそう言って、真佐井に頭を下げた。
真佐井は無言で額を畳につけた。両の拳は震えていたかも知れない。
同門同士の対決許可を得たのだ。
雷弾流の使い手としては、最期になるかも知れない同門対決。その相手は、真佐井の目標であり、頼もしく誇れる兄弟子であった剣志郎。己の身につけた技の限りを尽くすのに、二人といない最高の相手である。
移りゆく時代の中、そのような相手に巡り会えた事は、奇跡に近い。
だが果たして。
それは真佐井にとって幸運と言うべきか、不運と言うべきか。
ただ、運命ではあった。それだけは確かだった。
剣志郎との対決は、避けられそうになかったからだ。
気が付けば、ミルクの様な霧は消え、山の出口がすぐそこまで迫っていた。
2008年11月20日
十三 追憶の先に
かつては階段があったのだろう。急勾配の斜面の所々で、石積みが草木に飲み込まれている。その跡を辿っていくと、こればかりは立派な山門に行き当たった。
雷弾。
山門に掲げられた板は、長い年月の間に風化していたが、かろうじてそう読み取れた。作り自体はまだしっかりしていたが、屋根に葺かれた瓦の間からは、雑草が伸びている。
門の中も外と変わらない。辺り一面に草木が好き勝手に生えている。
真佐井は、その光景を懐かしく眺めながら歩を進めた。しばらく行くと、二本の大きなブナの木に挟まれるように建っているお堂が見えた。
ひっそりと佇むその姿は、真佐井の記憶と、寸分も違ってはいない。
「お待ちしていました」
不意に左手からそう声をかけられ、真佐井は狼狽した。人の気配など、微塵も感じていなかったのだ。見れば、頭を丸めた寺の小僧風の少年が立っている。寺の小僧と違うのは、着ている服が、鉄鋲を打ち付けたブラックレザーだという点だけだった。
「俺は、音楽のジャンルはよく分からないんだが、それでも、演歌でない事は確かだな。ロックかい?」
「大雑把に言えば、そうですね」
小僧は、ふっと笑うとそう言った。
「詳しく言えば、ロックとはまた違うジャンルなのですが、真佐井さんと音楽談義するのは、また今度にしますよ。真佐井さんにご理解頂くには、半日あっても足りないでしょうからね。
それより、そろそろお湯が沸きます。お茶でもいかがですか」
「それがいい。一週間あっても、理解できないかもしれないしな」
そう言うと真佐井は、小僧について歩き出した。お堂に向かって左手に、小さな小屋があった。竈が儲けられた土間の他には、土間寄りに囲炉裏が切られた板の間が一つ。風呂もトイレも無い。もちろん、電気やガスも通じていない。窓は障子と雨戸。ガラスはない。
小僧が茶を点てている間、真佐井は久しぶりに自然の声を聞いた気がした。
山を駆け上ってくる風が、草木の葉を打ち鳴らしている。時折聞こえてくる小鳥達の声は、ヒヨドリかヤマガラかホオジロか。知っている名前を羅列してみる。
昔、この地で修行に明け暮れた日々が、ふっと蘇る。
草を駆け、岩を突き、雨を裂いた。
星空を見ながら。
豪雨に打たれて。
一面真っ白な、霧の闇。
その記憶の中、いつでも真佐井の前には背中があった。その背中は頼もしく、また、超えるべき目標であった。互いに拳を合わせ、技を競った。
「けんにい」
真佐井はその背中に、何度そう呼びかけただろうか。その度に「どうした」と、振り向いてくれた。
「何でもない」
けんにいの顔を見れば、真佐井はそれだけで安心した。がんばろうと思えた。顔が見たくて、用もないのに何度もそんなやりとりを繰り返した。それでも、けんにいは嫌な顔一つする事はなかった。
野犬に追われて逃げ込んだ地蔵窟。
足を滑らせた谷川。
三本杉の修行では、そっと差し入れを持ってきてくれた。
けんにいのようになりたい。そして、けんにいの力になりたい。
真佐井はその一心で修行に励み、雷弾 尊(らいだん みこと)となる事ができたのだ。けんにいが、剣志郎がいなければ、今の自分はなかったと、真佐井は常に感じていた。
「結構なお点前で」
点てられた茶を飲み干すと、真佐井はそっと茶碗を置いた。
懐かしい思い出は、茶と一緒に飲み込んだ。変わりに、現実と向き合う覚悟がわき上がってくる。
剣志郎を止められるのは自分だけしかいない。それ以上に、剣志郎は自分が止めなくてはいけない。それが、けんにいに今の自分が出来る、最高の恩返しだと。
「大体の話は、先代から聞いています」
小僧は、茶道具を仕舞ってくると、真佐井と正対し、そう言った。先ほど、真佐井に声をかけてきた時とは打って変わり、正対する小僧の雰囲気は一変していた。その声にも、動きにも、近寄りがたい雰囲気を漂わせている。仏像が動き、喋っているとでも言えば良いのだろうか。外見は少年のままだったが、その中身は、老成した達人のそれだった。鉄鋲が打ち込まれた皮のジャケットさえ、代々伝わる黒装束の様に思えた。
真佐井は、そんな小僧の目を真っ直ぐに見つめた。その目には気負いも迷いもない。ただ、ただ真っ直ぐだった。
「いいでしょう。許可します」
小僧の言葉に、真佐井は床に拳を着け礼をした。
真佐井が剣志郎を追えば、いずれ剣志郎と拳を交えなければならない。剣志郎も真佐井も、どちらも破門されてはいない為。そうなれば、同門での対決となる。しかも兄弟子と弟弟子で。
雷弾流は、同門同士の争いを厳しく禁じていた。雷弾流の門下である以上、今回の様に広く一般に被害が生じる場合でも、原則許されない事である。唯一、雷弾流頭首の許可が、その例外だった。
真佐井はその許可を得る為、雷弾流の本山へと、足を運んだのだ。
この小僧こそは、弱冠十六歳の雷弾流第五十七代頭首、迅修。神童の名に恥じぬ才能と技の切れを持った、名実共に雷弾流の頭首である。七年前、頭首就任時の演舞を見た際、真佐井は全身に鳥肌が立つのを感じた。十に満たない子供とは思えなかったからだ。
「さて、真佐井さんの用件も済んだ事ですし、音楽について詳しくお話でもしますか」
迅修が、少年の顔でそう言った。一瞬で空気の分子が軽くなる。
「そんな顔しなくても良いじゃないですか。それに、音楽と格闘技は、リズムという点に置いて、共通した部分があるのは知っているでしょ」
「それで、ロック?」
真佐井も迅修に釣られて破顔する。
「そうなんですよ。試しにロックのリズムを取り入れてみたら、これが思いの外良くて、パンクや、メタルに・・・もう、ちゃんと聞いて下さい。
いいですか真佐井さん、そもそもですね・・・」
小屋の外からは遠く、鳶の鳴き声が聞こえてきた。
雷弾。
山門に掲げられた板は、長い年月の間に風化していたが、かろうじてそう読み取れた。作り自体はまだしっかりしていたが、屋根に葺かれた瓦の間からは、雑草が伸びている。
門の中も外と変わらない。辺り一面に草木が好き勝手に生えている。
真佐井は、その光景を懐かしく眺めながら歩を進めた。しばらく行くと、二本の大きなブナの木に挟まれるように建っているお堂が見えた。
ひっそりと佇むその姿は、真佐井の記憶と、寸分も違ってはいない。
「お待ちしていました」
不意に左手からそう声をかけられ、真佐井は狼狽した。人の気配など、微塵も感じていなかったのだ。見れば、頭を丸めた寺の小僧風の少年が立っている。寺の小僧と違うのは、着ている服が、鉄鋲を打ち付けたブラックレザーだという点だけだった。
「俺は、音楽のジャンルはよく分からないんだが、それでも、演歌でない事は確かだな。ロックかい?」
「大雑把に言えば、そうですね」
小僧は、ふっと笑うとそう言った。
「詳しく言えば、ロックとはまた違うジャンルなのですが、真佐井さんと音楽談義するのは、また今度にしますよ。真佐井さんにご理解頂くには、半日あっても足りないでしょうからね。
それより、そろそろお湯が沸きます。お茶でもいかがですか」
「それがいい。一週間あっても、理解できないかもしれないしな」
そう言うと真佐井は、小僧について歩き出した。お堂に向かって左手に、小さな小屋があった。竈が儲けられた土間の他には、土間寄りに囲炉裏が切られた板の間が一つ。風呂もトイレも無い。もちろん、電気やガスも通じていない。窓は障子と雨戸。ガラスはない。
小僧が茶を点てている間、真佐井は久しぶりに自然の声を聞いた気がした。
山を駆け上ってくる風が、草木の葉を打ち鳴らしている。時折聞こえてくる小鳥達の声は、ヒヨドリかヤマガラかホオジロか。知っている名前を羅列してみる。
昔、この地で修行に明け暮れた日々が、ふっと蘇る。
草を駆け、岩を突き、雨を裂いた。
星空を見ながら。
豪雨に打たれて。
一面真っ白な、霧の闇。
その記憶の中、いつでも真佐井の前には背中があった。その背中は頼もしく、また、超えるべき目標であった。互いに拳を合わせ、技を競った。
「けんにい」
真佐井はその背中に、何度そう呼びかけただろうか。その度に「どうした」と、振り向いてくれた。
「何でもない」
けんにいの顔を見れば、真佐井はそれだけで安心した。がんばろうと思えた。顔が見たくて、用もないのに何度もそんなやりとりを繰り返した。それでも、けんにいは嫌な顔一つする事はなかった。
野犬に追われて逃げ込んだ地蔵窟。
足を滑らせた谷川。
三本杉の修行では、そっと差し入れを持ってきてくれた。
けんにいのようになりたい。そして、けんにいの力になりたい。
真佐井はその一心で修行に励み、雷弾 尊(らいだん みこと)となる事ができたのだ。けんにいが、剣志郎がいなければ、今の自分はなかったと、真佐井は常に感じていた。
「結構なお点前で」
点てられた茶を飲み干すと、真佐井はそっと茶碗を置いた。
懐かしい思い出は、茶と一緒に飲み込んだ。変わりに、現実と向き合う覚悟がわき上がってくる。
剣志郎を止められるのは自分だけしかいない。それ以上に、剣志郎は自分が止めなくてはいけない。それが、けんにいに今の自分が出来る、最高の恩返しだと。
「大体の話は、先代から聞いています」
小僧は、茶道具を仕舞ってくると、真佐井と正対し、そう言った。先ほど、真佐井に声をかけてきた時とは打って変わり、正対する小僧の雰囲気は一変していた。その声にも、動きにも、近寄りがたい雰囲気を漂わせている。仏像が動き、喋っているとでも言えば良いのだろうか。外見は少年のままだったが、その中身は、老成した達人のそれだった。鉄鋲が打ち込まれた皮のジャケットさえ、代々伝わる黒装束の様に思えた。
真佐井は、そんな小僧の目を真っ直ぐに見つめた。その目には気負いも迷いもない。ただ、ただ真っ直ぐだった。
「いいでしょう。許可します」
小僧の言葉に、真佐井は床に拳を着け礼をした。
真佐井が剣志郎を追えば、いずれ剣志郎と拳を交えなければならない。剣志郎も真佐井も、どちらも破門されてはいない為。そうなれば、同門での対決となる。しかも兄弟子と弟弟子で。
雷弾流は、同門同士の争いを厳しく禁じていた。雷弾流の門下である以上、今回の様に広く一般に被害が生じる場合でも、原則許されない事である。唯一、雷弾流頭首の許可が、その例外だった。
真佐井はその許可を得る為、雷弾流の本山へと、足を運んだのだ。
この小僧こそは、弱冠十六歳の雷弾流第五十七代頭首、迅修。神童の名に恥じぬ才能と技の切れを持った、名実共に雷弾流の頭首である。七年前、頭首就任時の演舞を見た際、真佐井は全身に鳥肌が立つのを感じた。十に満たない子供とは思えなかったからだ。
「さて、真佐井さんの用件も済んだ事ですし、音楽について詳しくお話でもしますか」
迅修が、少年の顔でそう言った。一瞬で空気の分子が軽くなる。
「そんな顔しなくても良いじゃないですか。それに、音楽と格闘技は、リズムという点に置いて、共通した部分があるのは知っているでしょ」
「それで、ロック?」
真佐井も迅修に釣られて破顔する。
「そうなんですよ。試しにロックのリズムを取り入れてみたら、これが思いの外良くて、パンクや、メタルに・・・もう、ちゃんと聞いて下さい。
いいですか真佐井さん、そもそもですね・・・」
小屋の外からは遠く、鳶の鳴き声が聞こえてきた。
2008年11月17日
十二 変わるもの
鳳来寺。愛知県新城市鳳来寺山にある、真言宗の寺院である。徳川家康の生母である、於大の方(おだいのかた)が鳳来寺山に参籠し、家康を授けられたという伝説があった為、家光によって東照宮が造営され、昭和28年には、仁王門と共に重要文化財に指定されている。
その東照宮の西には鳳来寺本堂が、そこから麓まで延びる山肌を伝い下る道中には、医央院と松高院が儲けられている。
その鳳来寺山中を歩く者がいた。鳳来寺山の北側斜面、鳳来寺とは尾根を挟んでちょうど反対側である。
山の北側であるが、季節は新緑。紫外線が最も強いと言われる五月の日差しが、鳳来寺山に降り注いでおり、一筋の日光も逃すものかとばかりに、木々から芽吹いた柔らかい葉っぱ達の間から、濾過された柔らかい日の光が漏れてくる。
道があるとは思えない斜面を、しかし迷うそぶりを見せずに、男は黙々と登り続けている。男が山に入って優に一時間が過ぎていた。間もなく山頂が見えてくる頃だ。
鳳来寺山は標高700メートル弱。湿度にも寄るが、麓との気温差は約3℃。五月とは言え、山頂付近はまだ肌寒かったが、男の額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
「さすがに熱いな」
男は、着込んでいた青いジャケットの前を大きく開け、額の汗を軽くぬぐった。その手首には、いつもつけているBAT腕時計が、今日は無い。そう、この男こそは、HAMAZO本部の機密庫からダークマターを持ち出した、松平剣志郎を一人追う、真佐井京である。
「あと少しで三十年か。今ではこの道を登る者もなし、か」
剣志郎を一人追う真佐井が、なぜ鳳来寺山山中にその身を置いているのか。その謎はすぐに解けた。真佐井の目の前に目指す場所が現れたのだ。
それは、朽ち果てた東屋だった。屋根は傾き、所々穴が開いていた。辺りを埋め尽くした落ち葉の下には、瓦の破片が散乱している事だろう。柱など、いつ折れてもおかしくない程に、痛みが激しい。
真佐井は、その東屋の右手にある大きな岩に近寄った。大地の一部が隆起して出来たかの様な、黒々とした岩である。その直径、高さとも3メートルはあるだろう。地表に現れた、ごつごつとした砲弾を思わせた。真佐井は岩の前に来ると、足下の落ち葉の中から適当な石を拾い、岩肌に手を滑らせる。程なく目的の物、腰高にある窪みを探し当てると、拾った石をその窪みへ押し込んだ。
たっぷり5秒。地の底からぎょりぎょりと不気味な音が鳴り出したかと思うと、目の前の大岩が二つに割れ、黒い穴が出現した。正確には、岩が割れたのではなく、手前の岩が横にずれたのだ。なるほど、よく見れば、一つの大きな岩でなく、二つの岩がかみ合うように合わさっていたのだという事に気づく。
真佐井は躊躇無く、大岩の中に出現した黒い穴へと潜り込んだ。真佐井の姿が消えるのと同時に、こちん、と小さな音と立てて、大岩にはめ込まれた石が落ち、大岩は再びぎょりぎょりと音を鳴らしながら、一つに戻った。
大岩の穴に入った真佐井は、ポケットから懐中電灯を取り出した。ごつごつと荒く削り取られた岩肌が、光に照らし出される。削られた天井は丸みを帯びており、トンネルのようだ。長身の真佐井でも身をかがめれば、十分に通れる空間が確保されている。その空間は斜め下方に向かっており、足下は、階段状に削り取られていた。入り口のからくりを知らぬ物には入る事が出来ぬ、秘密の地下道だ。
埃の臭いとでも言うのだろうか。地下道の乾いた空気は、かび臭さとはまた違った臭いを持っており、その事が、この地下道がしばらくの間使われていない事を示していた。
地下道を進む内に、壁は岩から土へと、足下の階段も平坦に変わる。空気もひやりとした湿り気を帯びてきた。
不意に頭上の圧迫がなくなり、黒々とした空間が広がる。ライトが照らし出す物も、削り取られた岩や土壁ではなかった。地下道は、天然の洞窟へと繋がっていたのだ。
そこまで来ると、真佐井は懐中電灯のスイッチを切った。外界が近いのだろう。天然の洞窟部分は、うっすらとした光が前方の曲がり角から入り込んでいた。
ほんの数分間の地底行だったが、やはり地上の光を浴びるとほっとした。
洞窟の出入り口前には、数本の木々が入り口を隠しているかの様に茂っていた。それらをかき分けると、一気に視界が開けた。まず目に飛び込んできたのは、濃い緑である。山の北側という事もあるのだろう。幾重にも折り重なった山襞に広がる木々が宿しているのは柔らかい緑ではなく、どことなく厳しさを感じさせる緑だった。その所々にむき出しの岩が点在している。見下ろせば、吸い込まれそうな崖が、足下に口を開けていた。
もし、空中から真佐井を見る事が可能だったならば、急峻な崖の途中に立っている姿を目にした事だろう。
「何も変わらないな」
そう言おうとして、真佐井は口をつぐんだ。左に目を転じた真佐井の視界に、稜線の向こうに頭を出している、携帯電話電波の中継塔が映った為だった。それだけが唯一、真佐井の記憶にある光景と違っていた。
外界から遮断された聖域。
この場は、真佐井の中でそうイメージされていた。いつまでも変わる事がない場所と。
この約三十年の間に、鉄塔が一つ出来た事など、他の場所に比べれば変化と言える程の物ではない。しかし、真佐井にとっては、大きな変化に思えた。
「変わる物だな」
唇の端を少し上げてそう言うと、崖に沿って歩き出した。次の言葉は胸にしまって。
「剣志郎も、俺も、な」
その東照宮の西には鳳来寺本堂が、そこから麓まで延びる山肌を伝い下る道中には、医央院と松高院が儲けられている。
その鳳来寺山中を歩く者がいた。鳳来寺山の北側斜面、鳳来寺とは尾根を挟んでちょうど反対側である。
山の北側であるが、季節は新緑。紫外線が最も強いと言われる五月の日差しが、鳳来寺山に降り注いでおり、一筋の日光も逃すものかとばかりに、木々から芽吹いた柔らかい葉っぱ達の間から、濾過された柔らかい日の光が漏れてくる。
道があるとは思えない斜面を、しかし迷うそぶりを見せずに、男は黙々と登り続けている。男が山に入って優に一時間が過ぎていた。間もなく山頂が見えてくる頃だ。
鳳来寺山は標高700メートル弱。湿度にも寄るが、麓との気温差は約3℃。五月とは言え、山頂付近はまだ肌寒かったが、男の額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
「さすがに熱いな」
男は、着込んでいた青いジャケットの前を大きく開け、額の汗を軽くぬぐった。その手首には、いつもつけているBAT腕時計が、今日は無い。そう、この男こそは、HAMAZO本部の機密庫からダークマターを持ち出した、松平剣志郎を一人追う、真佐井京である。
「あと少しで三十年か。今ではこの道を登る者もなし、か」
剣志郎を一人追う真佐井が、なぜ鳳来寺山山中にその身を置いているのか。その謎はすぐに解けた。真佐井の目の前に目指す場所が現れたのだ。
それは、朽ち果てた東屋だった。屋根は傾き、所々穴が開いていた。辺りを埋め尽くした落ち葉の下には、瓦の破片が散乱している事だろう。柱など、いつ折れてもおかしくない程に、痛みが激しい。
真佐井は、その東屋の右手にある大きな岩に近寄った。大地の一部が隆起して出来たかの様な、黒々とした岩である。その直径、高さとも3メートルはあるだろう。地表に現れた、ごつごつとした砲弾を思わせた。真佐井は岩の前に来ると、足下の落ち葉の中から適当な石を拾い、岩肌に手を滑らせる。程なく目的の物、腰高にある窪みを探し当てると、拾った石をその窪みへ押し込んだ。
たっぷり5秒。地の底からぎょりぎょりと不気味な音が鳴り出したかと思うと、目の前の大岩が二つに割れ、黒い穴が出現した。正確には、岩が割れたのではなく、手前の岩が横にずれたのだ。なるほど、よく見れば、一つの大きな岩でなく、二つの岩がかみ合うように合わさっていたのだという事に気づく。
真佐井は躊躇無く、大岩の中に出現した黒い穴へと潜り込んだ。真佐井の姿が消えるのと同時に、こちん、と小さな音と立てて、大岩にはめ込まれた石が落ち、大岩は再びぎょりぎょりと音を鳴らしながら、一つに戻った。
大岩の穴に入った真佐井は、ポケットから懐中電灯を取り出した。ごつごつと荒く削り取られた岩肌が、光に照らし出される。削られた天井は丸みを帯びており、トンネルのようだ。長身の真佐井でも身をかがめれば、十分に通れる空間が確保されている。その空間は斜め下方に向かっており、足下は、階段状に削り取られていた。入り口のからくりを知らぬ物には入る事が出来ぬ、秘密の地下道だ。
埃の臭いとでも言うのだろうか。地下道の乾いた空気は、かび臭さとはまた違った臭いを持っており、その事が、この地下道がしばらくの間使われていない事を示していた。
地下道を進む内に、壁は岩から土へと、足下の階段も平坦に変わる。空気もひやりとした湿り気を帯びてきた。
不意に頭上の圧迫がなくなり、黒々とした空間が広がる。ライトが照らし出す物も、削り取られた岩や土壁ではなかった。地下道は、天然の洞窟へと繋がっていたのだ。
そこまで来ると、真佐井は懐中電灯のスイッチを切った。外界が近いのだろう。天然の洞窟部分は、うっすらとした光が前方の曲がり角から入り込んでいた。
ほんの数分間の地底行だったが、やはり地上の光を浴びるとほっとした。
洞窟の出入り口前には、数本の木々が入り口を隠しているかの様に茂っていた。それらをかき分けると、一気に視界が開けた。まず目に飛び込んできたのは、濃い緑である。山の北側という事もあるのだろう。幾重にも折り重なった山襞に広がる木々が宿しているのは柔らかい緑ではなく、どことなく厳しさを感じさせる緑だった。その所々にむき出しの岩が点在している。見下ろせば、吸い込まれそうな崖が、足下に口を開けていた。
もし、空中から真佐井を見る事が可能だったならば、急峻な崖の途中に立っている姿を目にした事だろう。
「何も変わらないな」
そう言おうとして、真佐井は口をつぐんだ。左に目を転じた真佐井の視界に、稜線の向こうに頭を出している、携帯電話電波の中継塔が映った為だった。それだけが唯一、真佐井の記憶にある光景と違っていた。
外界から遮断された聖域。
この場は、真佐井の中でそうイメージされていた。いつまでも変わる事がない場所と。
この約三十年の間に、鉄塔が一つ出来た事など、他の場所に比べれば変化と言える程の物ではない。しかし、真佐井にとっては、大きな変化に思えた。
「変わる物だな」
唇の端を少し上げてそう言うと、崖に沿って歩き出した。次の言葉は胸にしまって。
「剣志郎も、俺も、な」
2008年11月12日
十一 真佐井
HAMAZO本部の第五号出入り口そばにある有料駐車場前。紫に染まった五月の空を見上げて、真佐井は大きく息を吐き出した。残念ながら、剣志郎が見つめていたのと同じ夕日を真佐井が見る事はかなわなかった。夕日は既に山の陰に入っていた為だ。もっとも、まだ夕日が沈んでいなかったとしても、目の前のビルが邪魔をして、この場所からは夕日を見る事は出来なかった。
オフィスへ帰るのだろう。急速に暗さを増しつつある空の下、真佐井の傍らを、スーツ姿のビジネスマン達が足早に通り過ぎていく。
現在、剣志郎の所在は分かっていない。自宅には数日前から帰っていないようだった。
同じ空を見ているのだろうか。
真佐井は空を見上げながら、剣志郎へ思いをはせた。今まで、常に剣志郎は真佐井の前にいた。雷弾流の兄弟子として。BATの先輩として。真佐井はその背中を見て来た。いつか、追いつき超えるべき壁だった。
しかし、真佐井が追いつく前に、剣志郎は管理職になってしまった。追いかけるべき目標が消えた事に、寂しさや悔しさよりも、真佐井はどこかでほっとしていた。剣志郎には、常に真佐井の前を歩いていて欲しい。そう思っていたからだ。
それからは、真佐井の心の中にいる剣志郎が、目指すべき高みとなった。真佐井は今日まで、己の中の剣志郎を追いかけ、研鑽を重ねてきたのだ。もちろん、心の中の剣志郎に追いつく事はなかった。
それが、今日からは別の意味で、剣志郎の背を追いかける事になった。
自身の心の中ではなく、現実に。
気がつけば、朱に染まっていた空は、深い藍へと転じていた。
暗さを増しつつある空の下、真佐井は車を発進させた。行き先は決まっていた。その手に迷いはなかったが、心には迷いが有ったのかも知れない。心に覆いをするように、黒いサングラスをかけていたのだ。
希望の星か、凶兆か。東の空に星が一つ。
しかし、サングラス越しの真佐井の目には、何も見えなかったかも知れない。
松平が夕日を眺めている頃、真佐井達はまだ、地下にあるHAMAZO本部にいた。
「まずは、松平服指令補佐の足取りを掴まない事には、始まりません。既に先ほど、手はずは整えておきました」
警備課長の柳井が発した一言で、その場にいた全員がはっと我に返る。
HAMAZOの服指令補佐である松平剣志郎が、機密庫に保管されていたダークマターを持ち出した。その事を裏付ける映像に、誰もが動けずにいたのだ。
「ああ、ありがとう」
総務部長の高橋が、条件反射のように答えた。それが通常思考を呼び戻すスイッチになったのかも知れない。一呼吸おき、いつもの調子で、高橋が指示を出す。
「蒔田君は班へ戻って、支給ダークマター中和剤〈ニュートラライズド・シャドウ〉の生産体制に入ってくれ。経理と購買へは、私から話を通しておく。
柳井君、場合によっては警察の手を借りるかも知れん。竹下君にそのことを伝えておいてくれ」
「はい、その可能性も考え、松本部長に動いてもらっています」
「結構。それなら問題はないな、よろしく頼む。後で私も顔を出そう。
唐出君は引き続き、野根君と共に、二つの妖化と怪人について調査して欲しい。もちろん、ダークマターとの関わりも、考慮に入れて動いてくれ」
「了解です!」
高橋が剣志郎の名をあえて出さなかった事が分かったのだろうか。唐出本太郎は元気よく答えると、野根小乃葉と今後の方針について打ち合わせる為、席を立った。
高橋は真佐井に背を向けたまま、しばし逡巡した。二人が、高橋がBAT隊長だった時の部下であった事もあるが、その事以上に、剣志郎と真佐井二人の間に、ライバルという一言では済まされない関係を、感じ取っていたからであった。
BAT隊員となる前、雷弾流の同門として、剣志郎と真佐井がどのような関係だったのか、はっきりとは知らない。しかし、BATとして数々のミッションを遂行していく中で、二人の間に複雑な関係がある事に気がついたのだ。
高橋は一度だけ、真佐井に聞いた事があった。
「松平君と一緒の任務に就いて、やりにくい事があれば、遠慮なく言ってくれ」
雷弾流の同門である事はもちろん、剣志郎が、HAMAZO出資者の曾孫であるという事を考慮してのものだった。
その時真佐井は「何もない」と、短く答えたきりだった。口ではそう言っていたが、その目は何か言いたげだった。しかし、高橋はあえて聞き返す事はしなかった。誰にでも一つや二つ、胸に留め置く感情があるだろうと思ったからだ。
しかし今となっては、その時無理にでも聞いておいた方が良かったのではないか。そう考えていた。高橋の後任人事の際、剣志郎に服指令補佐、真佐井にBAT隊長の辞令が下った時に、二人が示した反応を見たからだった。
それは、ごく小さな波だった。そう、初めの内は。
剣志郎は一つ息を吐くと、感情の無い顔で承諾し、真佐井は隊長ではなく、隊長補佐にして欲しいと申し出たのだ。決して、隊長職には就かない強い意志で。
高橋はその旨を上に報告し、承認された。その為、現在もBAT隊長は、空席のままになっている。
その時の小さな波が、今や巨大な津波となって、全てを飲み砕こうとしている。高橋はそんな風に感じていた。今のこの事態は、あのと時ら既に、運命づけられていたのではないかと。
「高橋部長」
高橋が我に返ると、真佐井が目の前に立っていた。
「高橋部長、松平服指令補佐について、私も独自に行方を探ってみたいのですが、許可頂けますか」
真佐井の目には、明らかに後悔と迷いがあった。同時に決意も。
「許可しよう」
高橋は静かにそう言った。真佐井の目を見てしまった高橋は、その言葉しか持っていなかったのだ。
こうして、真佐井は会議室を出、一人ハンドルを握った。
剣志郎の行方を掴むために。
オフィスへ帰るのだろう。急速に暗さを増しつつある空の下、真佐井の傍らを、スーツ姿のビジネスマン達が足早に通り過ぎていく。
現在、剣志郎の所在は分かっていない。自宅には数日前から帰っていないようだった。
同じ空を見ているのだろうか。
真佐井は空を見上げながら、剣志郎へ思いをはせた。今まで、常に剣志郎は真佐井の前にいた。雷弾流の兄弟子として。BATの先輩として。真佐井はその背中を見て来た。いつか、追いつき超えるべき壁だった。
しかし、真佐井が追いつく前に、剣志郎は管理職になってしまった。追いかけるべき目標が消えた事に、寂しさや悔しさよりも、真佐井はどこかでほっとしていた。剣志郎には、常に真佐井の前を歩いていて欲しい。そう思っていたからだ。
それからは、真佐井の心の中にいる剣志郎が、目指すべき高みとなった。真佐井は今日まで、己の中の剣志郎を追いかけ、研鑽を重ねてきたのだ。もちろん、心の中の剣志郎に追いつく事はなかった。
それが、今日からは別の意味で、剣志郎の背を追いかける事になった。
自身の心の中ではなく、現実に。
気がつけば、朱に染まっていた空は、深い藍へと転じていた。
暗さを増しつつある空の下、真佐井は車を発進させた。行き先は決まっていた。その手に迷いはなかったが、心には迷いが有ったのかも知れない。心に覆いをするように、黒いサングラスをかけていたのだ。
希望の星か、凶兆か。東の空に星が一つ。
しかし、サングラス越しの真佐井の目には、何も見えなかったかも知れない。
松平が夕日を眺めている頃、真佐井達はまだ、地下にあるHAMAZO本部にいた。
「まずは、松平服指令補佐の足取りを掴まない事には、始まりません。既に先ほど、手はずは整えておきました」
警備課長の柳井が発した一言で、その場にいた全員がはっと我に返る。
HAMAZOの服指令補佐である松平剣志郎が、機密庫に保管されていたダークマターを持ち出した。その事を裏付ける映像に、誰もが動けずにいたのだ。
「ああ、ありがとう」
総務部長の高橋が、条件反射のように答えた。それが通常思考を呼び戻すスイッチになったのかも知れない。一呼吸おき、いつもの調子で、高橋が指示を出す。
「蒔田君は班へ戻って、支給ダークマター中和剤〈ニュートラライズド・シャドウ〉の生産体制に入ってくれ。経理と購買へは、私から話を通しておく。
柳井君、場合によっては警察の手を借りるかも知れん。竹下君にそのことを伝えておいてくれ」
「はい、その可能性も考え、松本部長に動いてもらっています」
「結構。それなら問題はないな、よろしく頼む。後で私も顔を出そう。
唐出君は引き続き、野根君と共に、二つの妖化と怪人について調査して欲しい。もちろん、ダークマターとの関わりも、考慮に入れて動いてくれ」
「了解です!」
高橋が剣志郎の名をあえて出さなかった事が分かったのだろうか。唐出本太郎は元気よく答えると、野根小乃葉と今後の方針について打ち合わせる為、席を立った。
高橋は真佐井に背を向けたまま、しばし逡巡した。二人が、高橋がBAT隊長だった時の部下であった事もあるが、その事以上に、剣志郎と真佐井二人の間に、ライバルという一言では済まされない関係を、感じ取っていたからであった。
BAT隊員となる前、雷弾流の同門として、剣志郎と真佐井がどのような関係だったのか、はっきりとは知らない。しかし、BATとして数々のミッションを遂行していく中で、二人の間に複雑な関係がある事に気がついたのだ。
高橋は一度だけ、真佐井に聞いた事があった。
「松平君と一緒の任務に就いて、やりにくい事があれば、遠慮なく言ってくれ」
雷弾流の同門である事はもちろん、剣志郎が、HAMAZO出資者の曾孫であるという事を考慮してのものだった。
その時真佐井は「何もない」と、短く答えたきりだった。口ではそう言っていたが、その目は何か言いたげだった。しかし、高橋はあえて聞き返す事はしなかった。誰にでも一つや二つ、胸に留め置く感情があるだろうと思ったからだ。
しかし今となっては、その時無理にでも聞いておいた方が良かったのではないか。そう考えていた。高橋の後任人事の際、剣志郎に服指令補佐、真佐井にBAT隊長の辞令が下った時に、二人が示した反応を見たからだった。
それは、ごく小さな波だった。そう、初めの内は。
剣志郎は一つ息を吐くと、感情の無い顔で承諾し、真佐井は隊長ではなく、隊長補佐にして欲しいと申し出たのだ。決して、隊長職には就かない強い意志で。
高橋はその旨を上に報告し、承認された。その為、現在もBAT隊長は、空席のままになっている。
その時の小さな波が、今や巨大な津波となって、全てを飲み砕こうとしている。高橋はそんな風に感じていた。今のこの事態は、あのと時ら既に、運命づけられていたのではないかと。
「高橋部長」
高橋が我に返ると、真佐井が目の前に立っていた。
「高橋部長、松平服指令補佐について、私も独自に行方を探ってみたいのですが、許可頂けますか」
真佐井の目には、明らかに後悔と迷いがあった。同時に決意も。
「許可しよう」
高橋は静かにそう言った。真佐井の目を見てしまった高橋は、その言葉しか持っていなかったのだ。
こうして、真佐井は会議室を出、一人ハンドルを握った。
剣志郎の行方を掴むために。
2008年09月02日
十 背信と影
「ところで、どうしてスクリーンに松平副指令補佐が映っているのですか?」
その一言は、その場にいた誰もが、喉まで出かかっていながら、口に出せずにいた決定的な一言だった。血の気を失った顔に張り付いた十の瞳が、一斉に小乃葉に向けられる。その瞳に宿っていたのは、困惑と安堵であった。
それを口にしてしまえば、否応なく苦難の現実を直視しなくてはならない。しかし、自分からは言いたくない一言だった。口に出さなければ現実の物とはならない。誰もがそう信じていたかのように。
渦に飲み込まれたように、時が経つほど深みにはまっていく。そんな無言の蟻地獄へ入り込んでしまった所を、小乃葉がその一言で、皆を現実へと連れ戻したのだ。
HAMAZOの福指令補佐。
本名松平剣志郎。
彼は、HAMAZOの出資者、松平長八郎倉康(まつだいら ちょうはちろう くらやす)の曾孫であった。その血統と、真佐井と共に高橋の元でBAT隊員として数々の敵と戦ってきた実績から、去年HAMAZO副司令官補佐の役職に就いたばかりだった。
その出自はHAMAZOの皆が知っており、ゆくゆくはHAMAZO総司令の座に就く事が暗黙の了解となっていた。言うなれば、HAMAZOのエリート中のエリートである。しかしながら、それを妬む声はHAMAZO内にはなかった。血筋だけでは、HAMAZOの花形といえるBAT隊員となる事ができない事を、誰もが知っていた為である。もちろん、剣志郎はBAT隊員となる十分な資質と実力を持っていたのだ。
ところが皮肉にも、剣志郎が副司令官補佐に就任した事が、今回の事態を引き起こした一端を担っていると言えた。
なぜなら、総司令官と副司令官の両名に限っては、HAMAZO内を自由に行き来する事ができるのだ。通常の職員はもちろん、BAT隊員であっても、それぞれの長の許可がなければ、各セクション間を自由に行き来する事はできない。次期総司令を目される剣志郎もまた、副指令補佐の役職の為に、HAMAZO内での自由を得ていたのだ。
つまり、映像が示すとおり、高橋や柳井の許可が無くとも、機密庫にアクセスする事は可能だったのだ。
しかし、ここで問題なのは、それが出来るか出来ないかではなく、なぜやったのか。その動機の部分だった。
そう、なぜ?
もっともらしくその理由を答えられる者は、この場には一人もいなかった。
剣志郎がスクリーンに映し出されている事情を聞き、小乃葉の顔も他のメンバーと同じく蒼白になる。小乃葉もまた、剣志郎の次期総司令官就任を疑っていなかった者の一人であったのだ。
誰もが、その行動の理由に疑問を抱いている中、唯一人、真佐井だけは、ある思いを抱いていた。それは想像の範囲内でしかなく、確信に至るにはまだかなりの道程を必要であった。しかし、闇夜に灯った一すりのマッチの火の様に、すぐにかき消えてしまう程小さいが、記憶に残る。そんな感じのものだった。
真佐井がその思いを抱いたのは、BAT隊員として肩を並べ、あるいは背を預けた戦友であり、また、互いに切磋琢磨したライバルだったからではない。
雷弾流の同門であった事が大きかった。
カーテンを閉め切った日の光が入り込まない部屋で、松平剣志郎は一人目を閉じ、静かに座していた。結跏趺坐の姿勢をとっていた。右足が上に来る吉祥座ではなく、左足が上に来る降魔座である。その膝の前で伏せられた右手からは、人差し指だけがまっすぐに伸びて床に触れている。降魔印だ。釈迦が悟りを開いた後、その悟りを邪魔しようとやってきた悪魔達に、現れた地神がその悟りを証明し、悪魔達を退散させたという印である。
流れ出た汗が、その指を伝って床に黒い染みを生み出していた。激しい苦痛に耐えているのだろうか。眉間には深い皺が刻まれていた。しかし、その口から漏れてくるのは激しい息づかいではなく、細く長く吐き出される落ち着いた呼吸だった。
降魔座に降魔印。精神統一にしては、眉間の皺が気になる。釈迦にあやかって、悪魔とでも戦っているのだろうか。そう、HAMAZO機密庫からダークマターを持ち出したのは、悪魔に取り憑かれていたからなのだと。
遠く離れた、浜松市中心部の地下にあるHAMAZO本部で、監視カメラの映像に大きな衝撃を受けた真佐井達にとっては、剣志郎自身の意志による行動と言われるより、その方が良いのだろう。それがどれほど荒唐無稽だったとしても。
いったいどれだけの時が過ぎたのだろう。
剣志郎はひときわ長く息を吐ききると、結んでいた印を解き、ゆっくりと立ち上がり窓を覆い隠していた厚いカーテンを大きく開けた。窓の外では、山の端へ沈みゆく太陽が、眼下に広がる町並みをオレンジ色に染めている。
夕日にどことなくもの悲しさを感じるのは、原始の時代からDNAにすり込まれた、夜行性の肉食獣が闊歩する夜に対する恐怖だろうか。それとも、太陽との距離が遠ざかる事による波長の変化を、肌が感じ取っているにすぎないのだろうか。
窓の対面にある壁に、黒々とした大きな影が生じていた。影遊びをしている時のように、巨大な黒々とした影だった。夕日が作り出したその巨大な影は、剣志郎の足下へとつながっている。
ダークマターに犯された者はシャドウと化す。
日の作る影同士が触れると、シャドウは感染する。
座禅を解いた剣志郎が窓を覆っていたカーテンを開け、室内に日の光が満ちた。その光は巨大な黒々とした影を生み出した。
剣志郎は、シャドウに犯されているのだろうか。それともシャドウに打ち勝った為に、自ら日の光を招き入れたのだろうか。
夕日をみつめる剣志郎の目は、オレンジ色に反射し、その奥にある色を知る事はできなかった。
その一言は、その場にいた誰もが、喉まで出かかっていながら、口に出せずにいた決定的な一言だった。血の気を失った顔に張り付いた十の瞳が、一斉に小乃葉に向けられる。その瞳に宿っていたのは、困惑と安堵であった。
それを口にしてしまえば、否応なく苦難の現実を直視しなくてはならない。しかし、自分からは言いたくない一言だった。口に出さなければ現実の物とはならない。誰もがそう信じていたかのように。
渦に飲み込まれたように、時が経つほど深みにはまっていく。そんな無言の蟻地獄へ入り込んでしまった所を、小乃葉がその一言で、皆を現実へと連れ戻したのだ。
HAMAZOの福指令補佐。
本名松平剣志郎。
彼は、HAMAZOの出資者、松平長八郎倉康(まつだいら ちょうはちろう くらやす)の曾孫であった。その血統と、真佐井と共に高橋の元でBAT隊員として数々の敵と戦ってきた実績から、去年HAMAZO副司令官補佐の役職に就いたばかりだった。
その出自はHAMAZOの皆が知っており、ゆくゆくはHAMAZO総司令の座に就く事が暗黙の了解となっていた。言うなれば、HAMAZOのエリート中のエリートである。しかしながら、それを妬む声はHAMAZO内にはなかった。血筋だけでは、HAMAZOの花形といえるBAT隊員となる事ができない事を、誰もが知っていた為である。もちろん、剣志郎はBAT隊員となる十分な資質と実力を持っていたのだ。
ところが皮肉にも、剣志郎が副司令官補佐に就任した事が、今回の事態を引き起こした一端を担っていると言えた。
なぜなら、総司令官と副司令官の両名に限っては、HAMAZO内を自由に行き来する事ができるのだ。通常の職員はもちろん、BAT隊員であっても、それぞれの長の許可がなければ、各セクション間を自由に行き来する事はできない。次期総司令を目される剣志郎もまた、副指令補佐の役職の為に、HAMAZO内での自由を得ていたのだ。
つまり、映像が示すとおり、高橋や柳井の許可が無くとも、機密庫にアクセスする事は可能だったのだ。
しかし、ここで問題なのは、それが出来るか出来ないかではなく、なぜやったのか。その動機の部分だった。
そう、なぜ?
もっともらしくその理由を答えられる者は、この場には一人もいなかった。
剣志郎がスクリーンに映し出されている事情を聞き、小乃葉の顔も他のメンバーと同じく蒼白になる。小乃葉もまた、剣志郎の次期総司令官就任を疑っていなかった者の一人であったのだ。
誰もが、その行動の理由に疑問を抱いている中、唯一人、真佐井だけは、ある思いを抱いていた。それは想像の範囲内でしかなく、確信に至るにはまだかなりの道程を必要であった。しかし、闇夜に灯った一すりのマッチの火の様に、すぐにかき消えてしまう程小さいが、記憶に残る。そんな感じのものだった。
真佐井がその思いを抱いたのは、BAT隊員として肩を並べ、あるいは背を預けた戦友であり、また、互いに切磋琢磨したライバルだったからではない。
雷弾流の同門であった事が大きかった。
カーテンを閉め切った日の光が入り込まない部屋で、松平剣志郎は一人目を閉じ、静かに座していた。結跏趺坐の姿勢をとっていた。右足が上に来る吉祥座ではなく、左足が上に来る降魔座である。その膝の前で伏せられた右手からは、人差し指だけがまっすぐに伸びて床に触れている。降魔印だ。釈迦が悟りを開いた後、その悟りを邪魔しようとやってきた悪魔達に、現れた地神がその悟りを証明し、悪魔達を退散させたという印である。
流れ出た汗が、その指を伝って床に黒い染みを生み出していた。激しい苦痛に耐えているのだろうか。眉間には深い皺が刻まれていた。しかし、その口から漏れてくるのは激しい息づかいではなく、細く長く吐き出される落ち着いた呼吸だった。
降魔座に降魔印。精神統一にしては、眉間の皺が気になる。釈迦にあやかって、悪魔とでも戦っているのだろうか。そう、HAMAZO機密庫からダークマターを持ち出したのは、悪魔に取り憑かれていたからなのだと。
遠く離れた、浜松市中心部の地下にあるHAMAZO本部で、監視カメラの映像に大きな衝撃を受けた真佐井達にとっては、剣志郎自身の意志による行動と言われるより、その方が良いのだろう。それがどれほど荒唐無稽だったとしても。
いったいどれだけの時が過ぎたのだろう。
剣志郎はひときわ長く息を吐ききると、結んでいた印を解き、ゆっくりと立ち上がり窓を覆い隠していた厚いカーテンを大きく開けた。窓の外では、山の端へ沈みゆく太陽が、眼下に広がる町並みをオレンジ色に染めている。
夕日にどことなくもの悲しさを感じるのは、原始の時代からDNAにすり込まれた、夜行性の肉食獣が闊歩する夜に対する恐怖だろうか。それとも、太陽との距離が遠ざかる事による波長の変化を、肌が感じ取っているにすぎないのだろうか。
窓の対面にある壁に、黒々とした大きな影が生じていた。影遊びをしている時のように、巨大な黒々とした影だった。夕日が作り出したその巨大な影は、剣志郎の足下へとつながっている。
ダークマターに犯された者はシャドウと化す。
日の作る影同士が触れると、シャドウは感染する。
座禅を解いた剣志郎が窓を覆っていたカーテンを開け、室内に日の光が満ちた。その光は巨大な黒々とした影を生み出した。
剣志郎は、シャドウに犯されているのだろうか。それともシャドウに打ち勝った為に、自ら日の光を招き入れたのだろうか。
夕日をみつめる剣志郎の目は、オレンジ色に反射し、その奥にある色を知る事はできなかった。
2008年03月29日
九 映し出されたもの
HAMAZO本部の第一会議室では、高橋以下五名の目が、スクリーンに映し出された映像に注目していた。
壁に固定されたコンソールを操作する人物。後ろ姿しか分からないが、その姿からは男と断定しても間違いが無いだろう。コンソールから手を離すと間もなく、壁の一部がスライドし、船舵を思わせる巨大なレバーの付いた扉が出現した。
その男は躊躇なくレバーに手を掛ける。指紋認証なのだろう。男が手を掛けた部分のレバーが、数秒青く発光した。
光が収まるのを確認し、男がレバーを回し扉を開ける。人一人が入り込めるだけの隙間を確保すると、するりとその中へ滑り込んだ。
暫くして、男が出てきた。その手には何もない。カメラの位置が遠い為だろうか、衣服の下に何かを隠している様子も見受けられない。
元通りに扉を閉めると、男はそのまま立ち去っていった。男がカメラの視界から消えるのと同時に、再び壁がスライドし、扉を隠した。
そこまで見終わった唐出が、ふぅと息を吐く。金庫か何かに男が入り込んだ場面の映像だろう。そう思った。スパイ映画によくある場面だ。この場でわざわざ映像を流したという事は、この男を捉える任務を与えられるのだろう。カメラに映っている事を考えれば、難しい任務ではなさそうだ。
しかし唐出以外の四人は、その映像の意味する物を知り、唐出の様には思えなかった。映し出された映像が何処の物なのか知っていた為である。また、その男の行動が何を意味するのか、最悪のシナリオを容易に想像出来た為でもあった。この春、浜松に異動してきたばかりの唐出には、これだけの映像では判断のしようがなかったのだ。
ふと唐出が隣の真佐井に目をやると、真佐井はまだスクリーンに注視している。その横顔は以前にも増して険しい物となっていた。それほど難題な任務とは思えなかった唐出も、真佐井の顔を見て即座に悟った。もしやこの映像が、二つの妖花出現に関わりがあるのかも知れないと。
再びスクリーンに視線を戻すと、映像にはまだ続きがあった。
先程男が扉から出てきたシーンを拡大し、解像度を修正した映像だった。途中で画像に手を加えていない事を示す為だろう。アップになった荒い画像が、徐々に鮮明になっていく。
ついには、それと分かるまでに修正された男の顔が映し出された。年齢は、四十半ばと言った所だろうか。しっかりと撫で付けられた髪、知性を感じさせる広い額と鋭い目。筋の通った鼻筋を持つ整った顔立ちの男。しかしながら、なぜか見る者に邪な印象を与える顔立ちだった。
唐出を含め、この場にいる誰もがこの顔の男を知っていた。
唐出はどうしてこの人物が映っているのか不思議に思い、他の四人は「そんな馬鹿な!」と、我が目を疑っていた。他の四人の様な疑惑の念は無かったが、男の顔を見た唐出にも、異常な事態が生じているのだという認識が生まれていた。
しかし、誰もが胸中に浮かんだその名前を口にする事はなかった。
先に映し出された、壁の中に隠された扉は、HAMAZO機密庫の扉だった。機密庫は資産管理課の課長と、資産管理課が属する総務部の総務部長の許可が無ければ、何人たりとも触れる事さえ出来ない。
また、そこへ通じる通路は、同じく警防部長と警備課長の許可がなければ、通る事が出来なかった。
総務部長はこの場にいる高橋であり、警備課長は柳井である。当然、この二人の許可を得なければ、通路に入る事も、機密庫に入る事も出来ないのだ。カメラに録画された日時は四月のものである。しかし、二人とも三月以降、許可を出した覚えがなかった。
また、機密庫の存在は、HAMAZO本部でも管理職以上の者にしか知らされていない、重要事項の一つである。去年の対シャドウ戦を戦い抜いてきた真佐井と蒔田は、ダークマター保管に際して、機密庫の存在とその事情を知る事となった。その為、映し出された映像を見て、それが機密庫だと分からなかったのは、唐出だけだったのだ。
それだけに、謎の男が機密庫の扉を開けその中に入っていく映像をみた時には、唐出を覗く四人にとって、衝撃的だったのである。
これだけでも特別会議を持つに値する事柄だった。その時の機密庫の中には、ダークマターが保管されていたからだ。が、それを成し遂げた人物の顔が映し出された事は、それ以上の衝撃を持って、この場にいる四人を打ちのめしたのだ。それらの事情を知れば、唐出も同じ、いやそれ以上の衝撃を受ける事だろう。
会議室の照明が元に戻ったが、皆の顔色は暗くなったままだった。スクリーンに映し出されたままの男の顔が、その原因だった。
さらに「ダークマターからの抽出物」という、蒔田の言葉がずっしりと重くのし掛かる。おそらく、ダークマターはこの人物によって盗み出されたのだろう。そして、昨日、今日と続けて出現した妖花にも、関係しているに違いない。
それは、HAMAZOを根底から覆す程の事態になりかねない事実だった。
誰もがこの人物の名を口に出来ないでいる時、入り口脇のインターホンが点滅した。
「何か?」
「遅くなりました、野根です」
高橋の問いに女性の声が答えた。
「入れ」
そう言って、ドアのロックを外す。許可されたカードキーが無い者は、室内に入れないようになっているのだ。もちろん柳井はそのキーを持っていた。
ドアが開き、野根小乃葉が姿を現す。
「遅くなりました。高橋隊長、復帰の許可を頂きありがとうございます」
「今はもう隊長ではなく、本部の事務職だよ、野根君。それよりもよく来てくれた。ありがとう。今はBAT隊員が一人でも多くいてくれる事が、心強い」
そう言って高橋は野根を迎え、その肩を軽く叩く。
「暫く現場を離れていましたが、そう言って頂けて、嬉しく思います。真佐井さんも、お久しぶりです」
高橋と小乃葉、そして真佐井は、かつてBAT隊長と隊員として共に戦った仲だった。小乃葉はライダーハーツとして、真佐井は雷弾尊として。
旧交を温めあい、また新しく唐出や蒔田、柳井との挨拶を済ませた小乃葉が、不思議そうに言った。
「ところで、どうしてスクリーンに松平副指令補佐が映っているのですか?」
そう、スクリーンに映し出された人物こそは、HAMAZOの副司令官補佐にして、元BAT隊員、松平剣志郎その人だったのだ。
壁に固定されたコンソールを操作する人物。後ろ姿しか分からないが、その姿からは男と断定しても間違いが無いだろう。コンソールから手を離すと間もなく、壁の一部がスライドし、船舵を思わせる巨大なレバーの付いた扉が出現した。
その男は躊躇なくレバーに手を掛ける。指紋認証なのだろう。男が手を掛けた部分のレバーが、数秒青く発光した。
光が収まるのを確認し、男がレバーを回し扉を開ける。人一人が入り込めるだけの隙間を確保すると、するりとその中へ滑り込んだ。
暫くして、男が出てきた。その手には何もない。カメラの位置が遠い為だろうか、衣服の下に何かを隠している様子も見受けられない。
元通りに扉を閉めると、男はそのまま立ち去っていった。男がカメラの視界から消えるのと同時に、再び壁がスライドし、扉を隠した。
そこまで見終わった唐出が、ふぅと息を吐く。金庫か何かに男が入り込んだ場面の映像だろう。そう思った。スパイ映画によくある場面だ。この場でわざわざ映像を流したという事は、この男を捉える任務を与えられるのだろう。カメラに映っている事を考えれば、難しい任務ではなさそうだ。
しかし唐出以外の四人は、その映像の意味する物を知り、唐出の様には思えなかった。映し出された映像が何処の物なのか知っていた為である。また、その男の行動が何を意味するのか、最悪のシナリオを容易に想像出来た為でもあった。この春、浜松に異動してきたばかりの唐出には、これだけの映像では判断のしようがなかったのだ。
ふと唐出が隣の真佐井に目をやると、真佐井はまだスクリーンに注視している。その横顔は以前にも増して険しい物となっていた。それほど難題な任務とは思えなかった唐出も、真佐井の顔を見て即座に悟った。もしやこの映像が、二つの妖花出現に関わりがあるのかも知れないと。
再びスクリーンに視線を戻すと、映像にはまだ続きがあった。
先程男が扉から出てきたシーンを拡大し、解像度を修正した映像だった。途中で画像に手を加えていない事を示す為だろう。アップになった荒い画像が、徐々に鮮明になっていく。
ついには、それと分かるまでに修正された男の顔が映し出された。年齢は、四十半ばと言った所だろうか。しっかりと撫で付けられた髪、知性を感じさせる広い額と鋭い目。筋の通った鼻筋を持つ整った顔立ちの男。しかしながら、なぜか見る者に邪な印象を与える顔立ちだった。
唐出を含め、この場にいる誰もがこの顔の男を知っていた。
唐出はどうしてこの人物が映っているのか不思議に思い、他の四人は「そんな馬鹿な!」と、我が目を疑っていた。他の四人の様な疑惑の念は無かったが、男の顔を見た唐出にも、異常な事態が生じているのだという認識が生まれていた。
しかし、誰もが胸中に浮かんだその名前を口にする事はなかった。
先に映し出された、壁の中に隠された扉は、HAMAZO機密庫の扉だった。機密庫は資産管理課の課長と、資産管理課が属する総務部の総務部長の許可が無ければ、何人たりとも触れる事さえ出来ない。
また、そこへ通じる通路は、同じく警防部長と警備課長の許可がなければ、通る事が出来なかった。
総務部長はこの場にいる高橋であり、警備課長は柳井である。当然、この二人の許可を得なければ、通路に入る事も、機密庫に入る事も出来ないのだ。カメラに録画された日時は四月のものである。しかし、二人とも三月以降、許可を出した覚えがなかった。
また、機密庫の存在は、HAMAZO本部でも管理職以上の者にしか知らされていない、重要事項の一つである。去年の対シャドウ戦を戦い抜いてきた真佐井と蒔田は、ダークマター保管に際して、機密庫の存在とその事情を知る事となった。その為、映し出された映像を見て、それが機密庫だと分からなかったのは、唐出だけだったのだ。
それだけに、謎の男が機密庫の扉を開けその中に入っていく映像をみた時には、唐出を覗く四人にとって、衝撃的だったのである。
これだけでも特別会議を持つに値する事柄だった。その時の機密庫の中には、ダークマターが保管されていたからだ。が、それを成し遂げた人物の顔が映し出された事は、それ以上の衝撃を持って、この場にいる四人を打ちのめしたのだ。それらの事情を知れば、唐出も同じ、いやそれ以上の衝撃を受ける事だろう。
会議室の照明が元に戻ったが、皆の顔色は暗くなったままだった。スクリーンに映し出されたままの男の顔が、その原因だった。
さらに「ダークマターからの抽出物」という、蒔田の言葉がずっしりと重くのし掛かる。おそらく、ダークマターはこの人物によって盗み出されたのだろう。そして、昨日、今日と続けて出現した妖花にも、関係しているに違いない。
それは、HAMAZOを根底から覆す程の事態になりかねない事実だった。
誰もがこの人物の名を口に出来ないでいる時、入り口脇のインターホンが点滅した。
「何か?」
「遅くなりました、野根です」
高橋の問いに女性の声が答えた。
「入れ」
そう言って、ドアのロックを外す。許可されたカードキーが無い者は、室内に入れないようになっているのだ。もちろん柳井はそのキーを持っていた。
ドアが開き、野根小乃葉が姿を現す。
「遅くなりました。高橋隊長、復帰の許可を頂きありがとうございます」
「今はもう隊長ではなく、本部の事務職だよ、野根君。それよりもよく来てくれた。ありがとう。今はBAT隊員が一人でも多くいてくれる事が、心強い」
そう言って高橋は野根を迎え、その肩を軽く叩く。
「暫く現場を離れていましたが、そう言って頂けて、嬉しく思います。真佐井さんも、お久しぶりです」
高橋と小乃葉、そして真佐井は、かつてBAT隊長と隊員として共に戦った仲だった。小乃葉はライダーハーツとして、真佐井は雷弾尊として。
旧交を温めあい、また新しく唐出や蒔田、柳井との挨拶を済ませた小乃葉が、不思議そうに言った。
「ところで、どうしてスクリーンに松平副指令補佐が映っているのですか?」
そう、スクリーンに映し出された人物こそは、HAMAZOの副司令官補佐にして、元BAT隊員、松平剣志郎その人だったのだ。
2008年03月23日
八 ダークマター
「こうして諸君らに集まってもらったのは他でもない。例の妖花について、緊急に伝えねばならない事があるからだ」
浜松市内にある雑居ビルの地下に設けられたHAMAZO本部の第一会議室で、妖花対策本部長でもあるHAMAZO総務部長の高橋は、難しい顔を並べている出席者にそう言った。
第二の妖花出現により、蔦怪人対策本部から、妖花対策本部へと名称が変更されていた。
高橋の背後に据え付けられているホワイトボードは、何色ものペンで計算式や矢印が幾つも書き込まれ、消され、また書き込まれ、雑然とした印象を与えていた。その中央付近に、青空をバックにした毒々しい程の真っ赤な妖花の写真が二枚、マグネットで止められていた。
いつもなら、三十人分の倚子と長テーブルがきっちり揃えられているのだが、今はそのほとんどが会議室の後ろへ追いやられ、役目を果たしているのは、長テーブルが二つと、倚子が五脚だけだった。そんな会議室の様子からは、行儀良く会議などしていられない、という焦りが伝わってくる。それは、この場にいる四人にも伝播していた。出席している真佐井と唐出も例外ではなかった。
「まずは、手元の分析結果について、蒔田君から説明をしてもらおう」
高橋の言葉を受け、五脚の一つを占めていた白衣の男が、グラフと数値の書き込まれた書類を手に、立ち上がった。HAMAZO分析班の長を務める蒔田だ。
「これはあくまでも、私個人の見解ですが・・・」
蒔田はそう前置きをして、言葉を続けた。髪には櫛を通してあったが、よれた襟と落ちくぼんだ眼下に、疲労の色が現れていた。声にも、いつもの調子がない。
「まず、二本の妖花ですが、その形態からは、別種の植物だと考えられます」
フラワーパークに出現した妖花はその根本にマンイーターを備えていたが、天竜川の妖花にはなかった。その代わり、天竜川の妖花は、森を形成できる程の巨大な蔦を持っていた。
「両妖花の細胞を採取し調べた結果でも、染色体数を始め、同種の植物である事を示す物は出てきませんでした。しかしながら、どちらの妖花からも、同種の物質が検出されました。詳しい検査結果は、お渡しいている書類に記載されています」
そこまで言うと、蒔田は一端視線を落とし、唇を固く結んだ。皆の手元には、NMRやガスクロマトグラフの結果が配られていた。二本の妖花から検出されたという同種の物質についての物だろう。それぞれのピークが示す物は、二つの物質が同種の物である証しだった。
もちろん、、それを見ただけで何の物質なのか理解できる者は、この場には蒔田意外にいない。しかし、高橋と真佐井だけは、そのグラフに描かれた波形に見覚えがあった。
発言を促すように、皆の目が蒔田に集中する。蒔田は目を閉じ、ゆっくりと深呼吸した。皆が注目した為ではなく、逡巡していた為だった。
数瞬、無音の空間が会議室を支配した。隣に座る者の鼓動が聞こえてきそうな緊張が漂う。
それを破るかのように、蒔田は咳払いを一つしてから言葉を繋いだ。
「ダークマターからの抽出物と思われる物質です」
その言葉によって、この場にいる誰もが、蒔田が逡巡した理由を理解できた。
ダークマター。
それは去年、真佐井が死闘の末に手に入れ、HAMAZO本部の機密庫に厳重保管されている物体の名だった。去年日本を襲った宇宙からの侵略者シャドウ。その本体とも言うべき物質がダークマターなのだ。
光さえも飲み込むと言われているブラックホール。そのブラックホールに実態があるとすれば、こういうものだろう、と思わせる様な、漆黒の球体。それがダークマターだった。
ダークマターは、触れる物の心に入り込み、その内に隠している心、シャドウを解き放つ。特に暴力や破壊と言った衝動を強く引き出す傾向があった。
しかし、それはダークマターに犯された者の第一段階似すぎない。やがて全身をダークマターに浸食された者は、自我を失い、容貌も変化をきたして、シャドウと化す。さらに、ダークマターの恐ろしい所は、シャドウとなってしまった者に触れた者もまた、ダ
ークマターに犯されてしまう事だった。
未だに謎なのは、その感染形態で、直接に触れてもダークマターには感染しない。しかし、日光の作る影同志が触れると、感染するのだ。同じ影でも、蛍光灯などの人口の光が作る影での感染は、確認されていなかった。
まさに、シャドウと呼ぶに相応しい存在だった。
その為、国内には日中の外出を禁止する戒厳令が敷かれ、家の窓という窓には厚いカーテンが掛けられる事態になった。
そんな中、真佐井が、寸又峡に落下した隕石からダークマターを発見した事で、シャドウを退治する道が開けたのだった。
HAMAZOの総力を結集して、ダークマターの中和剤を開発し、シャドウと化した者を治療し、この未曾有の危機を乗り切ったのだ。
事態が収束に向かうと、三流の週刊誌は「影の国からの侵略」と銘打った特集を組んでいたのは、まだ記憶に新しい。
ダークマターからの抽出物と思われる物質。
その言葉はこの場にいる者に、去年の悪夢を蘇らせるのに十分だった。ダークマターに犯された人数は数十万の単位に登った。HAMAZO職員もその例外ではなかった。蒔田の私見とはいえ、それなりの根拠がある事は、手元のデータが示していた。事態は楽観できる物ではなかった。
それにしても、ダークマターからの抽出物と思われる物質とは。
第二のダークマターの出現なのだろうか。それとも、何処かへ逃れていたシャドウがいたのだろうか。
どちらにしろ、ダークマターからの抽出物となれば、それ相応の知識と設備が必要になる事は、言うまでもない。そこには何らかの組織が関わっているはずだった。
その時、会議室の閉塞感を打ち破るかのように、一人の男が会議室に入ってきた。筋肉の塊を思わせる体躯を誇る、警備課長の柳井、空席になっていた五人目の倚子を埋める人物だった。
「高橋部長、遅くなりました。解析、編集完了しました」
そう言って、柳井は一枚のディスクを差し出した。それを受け取った高橋が、壁に埋め込まれたプレイヤーにセットし、ボタンを押す。小さなモーター音と共に、ホワイトボードがスルスルと天井に格納され、その背後に隠されていたスクリーンが姿を現した。
室内の照明が自動で薄暗くなる。
果たして、そこに映し出された映像とは・・・。
浜松市内にある雑居ビルの地下に設けられたHAMAZO本部の第一会議室で、妖花対策本部長でもあるHAMAZO総務部長の高橋は、難しい顔を並べている出席者にそう言った。
第二の妖花出現により、蔦怪人対策本部から、妖花対策本部へと名称が変更されていた。
高橋の背後に据え付けられているホワイトボードは、何色ものペンで計算式や矢印が幾つも書き込まれ、消され、また書き込まれ、雑然とした印象を与えていた。その中央付近に、青空をバックにした毒々しい程の真っ赤な妖花の写真が二枚、マグネットで止められていた。
いつもなら、三十人分の倚子と長テーブルがきっちり揃えられているのだが、今はそのほとんどが会議室の後ろへ追いやられ、役目を果たしているのは、長テーブルが二つと、倚子が五脚だけだった。そんな会議室の様子からは、行儀良く会議などしていられない、という焦りが伝わってくる。それは、この場にいる四人にも伝播していた。出席している真佐井と唐出も例外ではなかった。
「まずは、手元の分析結果について、蒔田君から説明をしてもらおう」
高橋の言葉を受け、五脚の一つを占めていた白衣の男が、グラフと数値の書き込まれた書類を手に、立ち上がった。HAMAZO分析班の長を務める蒔田だ。
「これはあくまでも、私個人の見解ですが・・・」
蒔田はそう前置きをして、言葉を続けた。髪には櫛を通してあったが、よれた襟と落ちくぼんだ眼下に、疲労の色が現れていた。声にも、いつもの調子がない。
「まず、二本の妖花ですが、その形態からは、別種の植物だと考えられます」
フラワーパークに出現した妖花はその根本にマンイーターを備えていたが、天竜川の妖花にはなかった。その代わり、天竜川の妖花は、森を形成できる程の巨大な蔦を持っていた。
「両妖花の細胞を採取し調べた結果でも、染色体数を始め、同種の植物である事を示す物は出てきませんでした。しかしながら、どちらの妖花からも、同種の物質が検出されました。詳しい検査結果は、お渡しいている書類に記載されています」
そこまで言うと、蒔田は一端視線を落とし、唇を固く結んだ。皆の手元には、NMRやガスクロマトグラフの結果が配られていた。二本の妖花から検出されたという同種の物質についての物だろう。それぞれのピークが示す物は、二つの物質が同種の物である証しだった。
もちろん、、それを見ただけで何の物質なのか理解できる者は、この場には蒔田意外にいない。しかし、高橋と真佐井だけは、そのグラフに描かれた波形に見覚えがあった。
発言を促すように、皆の目が蒔田に集中する。蒔田は目を閉じ、ゆっくりと深呼吸した。皆が注目した為ではなく、逡巡していた為だった。
数瞬、無音の空間が会議室を支配した。隣に座る者の鼓動が聞こえてきそうな緊張が漂う。
それを破るかのように、蒔田は咳払いを一つしてから言葉を繋いだ。
「ダークマターからの抽出物と思われる物質です」
その言葉によって、この場にいる誰もが、蒔田が逡巡した理由を理解できた。
ダークマター。
それは去年、真佐井が死闘の末に手に入れ、HAMAZO本部の機密庫に厳重保管されている物体の名だった。去年日本を襲った宇宙からの侵略者シャドウ。その本体とも言うべき物質がダークマターなのだ。
光さえも飲み込むと言われているブラックホール。そのブラックホールに実態があるとすれば、こういうものだろう、と思わせる様な、漆黒の球体。それがダークマターだった。
ダークマターは、触れる物の心に入り込み、その内に隠している心、シャドウを解き放つ。特に暴力や破壊と言った衝動を強く引き出す傾向があった。
しかし、それはダークマターに犯された者の第一段階似すぎない。やがて全身をダークマターに浸食された者は、自我を失い、容貌も変化をきたして、シャドウと化す。さらに、ダークマターの恐ろしい所は、シャドウとなってしまった者に触れた者もまた、ダ
ークマターに犯されてしまう事だった。
未だに謎なのは、その感染形態で、直接に触れてもダークマターには感染しない。しかし、日光の作る影同志が触れると、感染するのだ。同じ影でも、蛍光灯などの人口の光が作る影での感染は、確認されていなかった。
まさに、シャドウと呼ぶに相応しい存在だった。
その為、国内には日中の外出を禁止する戒厳令が敷かれ、家の窓という窓には厚いカーテンが掛けられる事態になった。
そんな中、真佐井が、寸又峡に落下した隕石からダークマターを発見した事で、シャドウを退治する道が開けたのだった。
HAMAZOの総力を結集して、ダークマターの中和剤を開発し、シャドウと化した者を治療し、この未曾有の危機を乗り切ったのだ。
事態が収束に向かうと、三流の週刊誌は「影の国からの侵略」と銘打った特集を組んでいたのは、まだ記憶に新しい。
ダークマターからの抽出物と思われる物質。
その言葉はこの場にいる者に、去年の悪夢を蘇らせるのに十分だった。ダークマターに犯された人数は数十万の単位に登った。HAMAZO職員もその例外ではなかった。蒔田の私見とはいえ、それなりの根拠がある事は、手元のデータが示していた。事態は楽観できる物ではなかった。
それにしても、ダークマターからの抽出物と思われる物質とは。
第二のダークマターの出現なのだろうか。それとも、何処かへ逃れていたシャドウがいたのだろうか。
どちらにしろ、ダークマターからの抽出物となれば、それ相応の知識と設備が必要になる事は、言うまでもない。そこには何らかの組織が関わっているはずだった。
その時、会議室の閉塞感を打ち破るかのように、一人の男が会議室に入ってきた。筋肉の塊を思わせる体躯を誇る、警備課長の柳井、空席になっていた五人目の倚子を埋める人物だった。
「高橋部長、遅くなりました。解析、編集完了しました」
そう言って、柳井は一枚のディスクを差し出した。それを受け取った高橋が、壁に埋め込まれたプレイヤーにセットし、ボタンを押す。小さなモーター音と共に、ホワイトボードがスルスルと天井に格納され、その背後に隠されていたスクリーンが姿を現した。
室内の照明が自動で薄暗くなる。
果たして、そこに映し出された映像とは・・・。
2008年03月06日
七 暗躍
「あの蔦の渦からは、いかにライダーハーツとは言え、逃げ切れるものではない。はははっ!ざまあみろって所だ。
それより驚いた。ライダーハーツは数年前に引退したと聞いていたからな。しかし、これで邪魔者が一人減ったのだと思えば、むしろ好都合だったか」
かなりの距離を失踪してきたが、パーカーの人物は息一つ乱していない。
この辺りの蔦は、まだ沈黙を保っている。そのた事に安堵し、足を止めたに過ぎなかった。
やがてはこの辺りも蔦の津波に飲み込まれるかも知れない。そうなった時、この笛だけで防ぎきれるかどうか。パーカーの人物には自信がなかった。吹き矢でダークヴェノムを蔦に与えるのは、作戦のもっと後になるはずだったからだ。それでも、ライダーハーツを仕留めたのであれば、作戦の変更など些細な事に思えた。
パーカーの人物はそう信じていた。ライダーハーツが既に蔦を沈静化させた事など、知るよしもなかったのだ。
ここは、天竜川に掛けられた第二東名の下なのだろう。上方を覆う蔦が厚い事もあり、他に比べて薄暗かった。それに加え、ライダーハーツを倒したと言う高揚感と、蔦の津波から逃れてきたという安堵感から、パーカーの人物に隙が有った事も少なからず影響しているだろう。パーカーの人物が気が付いた時には、後ろから首筋に刃物を突きつけられていたのだ。気配はもちろんの事、物音一つしなかった。
「命がいらなければ、動くがいい」
パーカーの人物に後ろから話しかけたその声は、ぞっとする程冷たい響きを宿していた。
「声を発する事も全て死に繋がる。分かったら、目を瞑れ」
パーカーの人物は大人しくその声に従った。油断していたとはいえ、簡単に背後を取られてしまったのだ。とりあえずは相手の出方を見る方が賢明だと思えたのだ。パーカーの人物は身じろぎ一つせずそっと瞼を閉じた。
「この笛はお前が作ったものか?もしそうなら目を開けろ。嘘や隠し事は、死を意味するぞ」
冷たい声の主はパーカーの人物の手から黒い笛を取り上げると、そう聞いてきた。パーカーの人物は、閉じた目を開ける事はなかった。それが、問いへの答えだった。黒い笛はパーカーの人物が作った物ではなかった。ある人物から「これで妖花を操れる」と、渡された物だったのだ。
「では、誰かから手に入れたのだな。その人物の居場所を知っているか?知っていたら目を開けろ」
パーカーの人物は笛を自分に渡した人物を知っていた。しかし、瞼を開ける事はなかった。なぜなら、それを喋ってしまえば、今命を落とす事はなかったとしても、後でその人物によって、確実に消されてしまうだろう。それに比べれば、この場をなんとか乗り切る方が、生存の確率が高いと考えたのだ。
笛を作った訳でもない。貰った相手も知らない。
そういう事にして目を閉じている事が、最良の方法だと。
その時、はっと気が付いた。今自分の生殺与奪を握っている人物は後ろにいる。それなのに、瞼を閉じているかどうか、後ろにいるままでは分かるはずがないのだ!それなのに、こいつは瞼を閉じているかどうかを知っている。なぜ?一人ではなく、前にもう一人いるのか?
パーカーの人物が抱いた疑問に、ぞくりとする冷たい声が答えた。
「お前の心の中が見えるからさ」
その言葉は、パーカーの人物の心臓を鷲掴みにした。氷の様に冷たい爪が、心臓に突き刺さった気分だった。
心を読める?
馬鹿な!そんな事はない。これはハッタリだ。そうに違いない。背後だけでなく自分の前にも敵がいるに違いない。微妙な表情の変化を読み取られただけにすぎないだけだ。そうでなければ、今は知らない事にしておこうと考えた時点で私の命が無いはずだろう。しかし、自分は今こうして生きている。それが証拠だ。
いや、もしかしたら始めからこいつは一人だけなのではないか?思わせぶりな質問でこちらを惑わせているだけなのでは?それなら、隙をついて反撃する事を考えると、目を開けていた方が有利に決まっている。
しかし、相手が二人だったら?その時はその時だ。どのみちこのままでは、埒があかない。
パーカーの人物は自らの思考が帰結した答えに従って、目を開けた。
目の前に真っ赤な目が浮いていた。
正確には、顔面ギリギリの所に、その人物の顔があったのだが、視界いっぱいに飛び込んできた予想外の光景に、パーカーの人物にはそう映ったのだ。
それは、およそ生きている事を感じさせない、冷たい目だった。充血を通り越した深紅の目は、異世界の生物の目を思わせた。
その事よりも、その目に宿る怪しい光が、パーカーの人物を戦慄させた。それこそ、心の奥まで見透かされてしまいそうな怪しい光が。
「お前は嘘をついた」
その言葉はパーカーの人物に届いただろうか。首筋に当てられていた刃物がするりと前に向かって滑り、無慈悲にパーカーの人物に死を与えた。刃物は確かに、後ろから突きつけられていたのだ。
ごとり。
嫌な音を立てて、重い物が地面に落ちた。続けてパーカーの人物だった物が、地面に横たわる。
急に辺りが明るさを増した。
気のせいではない。パーカーの人物に死を与えた何者かがこの場を立ち去った。その証しだった。
それより驚いた。ライダーハーツは数年前に引退したと聞いていたからな。しかし、これで邪魔者が一人減ったのだと思えば、むしろ好都合だったか」
かなりの距離を失踪してきたが、パーカーの人物は息一つ乱していない。
この辺りの蔦は、まだ沈黙を保っている。そのた事に安堵し、足を止めたに過ぎなかった。
やがてはこの辺りも蔦の津波に飲み込まれるかも知れない。そうなった時、この笛だけで防ぎきれるかどうか。パーカーの人物には自信がなかった。吹き矢でダークヴェノムを蔦に与えるのは、作戦のもっと後になるはずだったからだ。それでも、ライダーハーツを仕留めたのであれば、作戦の変更など些細な事に思えた。
パーカーの人物はそう信じていた。ライダーハーツが既に蔦を沈静化させた事など、知るよしもなかったのだ。
ここは、天竜川に掛けられた第二東名の下なのだろう。上方を覆う蔦が厚い事もあり、他に比べて薄暗かった。それに加え、ライダーハーツを倒したと言う高揚感と、蔦の津波から逃れてきたという安堵感から、パーカーの人物に隙が有った事も少なからず影響しているだろう。パーカーの人物が気が付いた時には、後ろから首筋に刃物を突きつけられていたのだ。気配はもちろんの事、物音一つしなかった。
「命がいらなければ、動くがいい」
パーカーの人物に後ろから話しかけたその声は、ぞっとする程冷たい響きを宿していた。
「声を発する事も全て死に繋がる。分かったら、目を瞑れ」
パーカーの人物は大人しくその声に従った。油断していたとはいえ、簡単に背後を取られてしまったのだ。とりあえずは相手の出方を見る方が賢明だと思えたのだ。パーカーの人物は身じろぎ一つせずそっと瞼を閉じた。
「この笛はお前が作ったものか?もしそうなら目を開けろ。嘘や隠し事は、死を意味するぞ」
冷たい声の主はパーカーの人物の手から黒い笛を取り上げると、そう聞いてきた。パーカーの人物は、閉じた目を開ける事はなかった。それが、問いへの答えだった。黒い笛はパーカーの人物が作った物ではなかった。ある人物から「これで妖花を操れる」と、渡された物だったのだ。
「では、誰かから手に入れたのだな。その人物の居場所を知っているか?知っていたら目を開けろ」
パーカーの人物は笛を自分に渡した人物を知っていた。しかし、瞼を開ける事はなかった。なぜなら、それを喋ってしまえば、今命を落とす事はなかったとしても、後でその人物によって、確実に消されてしまうだろう。それに比べれば、この場をなんとか乗り切る方が、生存の確率が高いと考えたのだ。
笛を作った訳でもない。貰った相手も知らない。
そういう事にして目を閉じている事が、最良の方法だと。
その時、はっと気が付いた。今自分の生殺与奪を握っている人物は後ろにいる。それなのに、瞼を閉じているかどうか、後ろにいるままでは分かるはずがないのだ!それなのに、こいつは瞼を閉じているかどうかを知っている。なぜ?一人ではなく、前にもう一人いるのか?
パーカーの人物が抱いた疑問に、ぞくりとする冷たい声が答えた。
「お前の心の中が見えるからさ」
その言葉は、パーカーの人物の心臓を鷲掴みにした。氷の様に冷たい爪が、心臓に突き刺さった気分だった。
心を読める?
馬鹿な!そんな事はない。これはハッタリだ。そうに違いない。背後だけでなく自分の前にも敵がいるに違いない。微妙な表情の変化を読み取られただけにすぎないだけだ。そうでなければ、今は知らない事にしておこうと考えた時点で私の命が無いはずだろう。しかし、自分は今こうして生きている。それが証拠だ。
いや、もしかしたら始めからこいつは一人だけなのではないか?思わせぶりな質問でこちらを惑わせているだけなのでは?それなら、隙をついて反撃する事を考えると、目を開けていた方が有利に決まっている。
しかし、相手が二人だったら?その時はその時だ。どのみちこのままでは、埒があかない。
パーカーの人物は自らの思考が帰結した答えに従って、目を開けた。
目の前に真っ赤な目が浮いていた。
正確には、顔面ギリギリの所に、その人物の顔があったのだが、視界いっぱいに飛び込んできた予想外の光景に、パーカーの人物にはそう映ったのだ。
それは、およそ生きている事を感じさせない、冷たい目だった。充血を通り越した深紅の目は、異世界の生物の目を思わせた。
その事よりも、その目に宿る怪しい光が、パーカーの人物を戦慄させた。それこそ、心の奥まで見透かされてしまいそうな怪しい光が。
「お前は嘘をついた」
その言葉はパーカーの人物に届いただろうか。首筋に当てられていた刃物がするりと前に向かって滑り、無慈悲にパーカーの人物に死を与えた。刃物は確かに、後ろから突きつけられていたのだ。
ごとり。
嫌な音を立てて、重い物が地面に落ちた。続けてパーカーの人物だった物が、地面に横たわる。
急に辺りが明るさを増した。
気のせいではない。パーカーの人物に死を与えた何者かがこの場を立ち去った。その証しだった。
2008年02月29日
六 奏でる者
第二の妖花の根元近く。緑の天蓋を形作っている蔦と比べるとあまりにも小さな人影が一つ。ねずみ色のパーカーを身につけていた。深く被ったフードでその顔は見えない。
巨大な妖花に驚く事もなく、恐怖の色もない。むしろ愛おしそうにその表面を撫でている。縦横に走る蔦の表面には獣毛の様な短い毛が、ビッシリと生えそろっていた。まるでペットの体を撫でるようにして、その人物は蔦を撫でていた。
「良い子だ」
そう言って口元をほころばせた。
太陽が天頂に差し掛かるにはまだまだ時間が必要だった。蔦と葉の間を縫って、所々に光の帯が斜めに差し込んでいる。静かな深い森の中を思わせる光景だった。近くに聞こえる天竜川の水音が、清涼感ももたらしている。
まるで無人の森を散策するように、パーカーの人物は歩き始めた。実際の森と違うところは、辺りに生物の気配がしない事だけだろうか。小鳥たちの囀りも、虫たちの羽ばたきも無かった。
暫くして、パーカーの人物は立ち止まると、パーカーのポケットから何かを取り出した。黒くなめらかな輝きを持つ、細長い物だ。
「隠れても無駄だ」
そう言うと、取り出した細長い物を口元に当てた。
パーカーの人物の両手が踊ると同時に、独特の甲高く美しい旋律が流れ出す。黒い物は横笛だったのだ。
するとどうだろう。その音曲に合わせるように周囲の、いやこの森に見まごう程の蔦全体がうぞうそと身動きをするように動き出したではないか!
この笛の音が、巨大な蔦を操っているのだ!
では、この人物こそが、二つの巨大な妖花出現をもたらした人物なのだろうか。
笛の音につられて、蔦の動きが激しさを増す。パーカーの人物の目が、フードの奥で怪しく光った。
しかし、その怪しい目の光はすぐに驚愕と不審の色に取って変わった。笛の音に合わせて蠢いていた蔦の動きが、突如ぴたりと止まったのだ。パーカーの人物はまだ笛を吹き続けているのに!
良く聞けば、パーカーの人物の笛のねとは別の、もう一つの音が聞こえていた。優しく包み込むよな透き通った音だった。この音の前では、パーカーの人物が奏でた音など、雑音でしかなかった。
パーカーの人物の前方、蔦の影から、するりと音もなく一人の人物がその姿を現した。その口元には、銀色に眩しく輝くフルートの様な横笛があった。トレードマークのハートをあしらった淡い桜色のバトルスーツをまとい、濃い色のサングラスを掛けたその人物。
「まさか、ライダーハーツ・・・」
パーカーの人物の口から思わず言葉が漏れる。
「あら、私を知ってるの?光栄だわ。
でも、笛の腕はまだまだ修行が必要のようね。もうこの子達にあなたの音は届かないわよ」
ライダーハーツはそう言って、傍らの巨大な蔦をポンポンと叩くと、手にした笛をパーカーの人物にビシッと突きつけた。
「何を企んでいるのか知らないけど、その悪巧みもここまでよ。観念しなさい!」
「くっ・・・」
自らの不利を悟ったのであろう。ライダーハーツを前にしたパーカーの人物には、先程までと違い、明らかな狼狽の色が見えた。
「HAMAZO本部で、洗いざらい話して貰うわよ」
そう言って歩み寄るライダーハーツに、パーカーの人物が飛びかかった。ライダーハーツはさっと身を開くと、飛びかかってきたパーカーの人物の手首をとり、「ヤッ!」と気合いと共にひねる。パーカーの人物は自身の勢いを利用され、一回転して背中からしたたかに地面に打ち付けられた。
「無駄よ」
倒れたパーカーの人物を、ライダーハーツは腰に手を当てて見下ろした。
「・・・みたい・・・だな・・・」
背中を打った痛みで行きが上手くできないのだろう。咳き込みながらパーカーの人物はそう言うのがやっとだった。
「そう、初めから素直に従えばいいのよ」
パーカーの人物の観念した様子を見たライダーハーツに、一瞬の油断が生じた。その機を逃さす、パーカーの人物は後方に大きく跳ね起きながら蹴りを繰り出した。間一髪でガードするライダーハーツ。しかし、二人の距離は大きく開いてしまった。
「この勝負、私が勝った様だな」
そう言うと、パーカーの人物は持っていた黒い笛を縦にくわえると、その先から、何か小さな物が飛び出した。鋭いトゲのついた矢だ。黒い笛は、吹き矢にもなっていたのだ!
しかし、吹き矢の腕前は笛の腕前よりも大きく劣っているのだろう。飛び出した小さな矢はライダーハーツに当たる事はなかった。
「何処を狙っているの?」
と言おうとしたライダーハーツだったが、その言葉は全て発せられる事はなかった。ライダーハーツの脇に生えていた巨大な蔦に、その吹き矢が突き刺ささり、それと同時に、その部分から急速に黒い染みのような物が、緑の蔦を浸食していったのだ。
「これは・・・」
その瞬間だった。今まで沈黙を守ってきた巨大な蔦が突如として激しく動き出したのだ!もだえ苦しむように。吹き矢から広がった黒い染みのような物が、猛毒となって蔦を苦しめているのかもしれない。
「はっはっは!蔦に絞め殺されてしまうが良い!」
いよいよ激しさを増す巨大な蔦に囲まれ身動きの取れないライダーハーツに、パーカーの人物はそう言うと、くるりと身を翻し、荒れ狂う蔦の向こうへと姿を消したのだった。
「卑怯な!」
黒い染みの広がりに伴って苦しむ巨大な蔦を目の当たりにして、ライダーハーツはそう口走っていた。パーカーの人物が逃げ出した事ではない。異常な大きさではあるが、蔦は蔦、植物である事には変わりがない。その植物を傷つけ苦しめた事。それが許せなかった。
今や蠢く蔦は、緑の津波の様だったが、ライダーハーツにとって、荒れ狂う蔦をかいくぐり、パーカーの人物を負う事は難しい事ではなかった。それよりも、傷つき苦しむ蔦を放ってはおけなかった。
ライダーハーツは銀色に輝く笛を口元へ運ぶと、ゆっくりと曲を奏で始めた。笛の音が流れ出すと、緑の津波は次第に激しさを失って行き、ついには元の静かな蔦へと戻っていった。
静けさを取り戻した蔦の森の中、ライダーハーツの目の前に黒く変じた蔦があった。
「ごめんね」
そう言って、黒く偏食した部分をスパッと切り落とした。切り取られた蔦は、腐臭に似た匂いの黒い汁を出しながら次第に萎んで行き、小指程の太さの黒い干からびた姿になった。
ライダーハーツはその小さく干からびた黒い蔦を拾うと「許さない」と小さく呟いた。
巨大な妖花に驚く事もなく、恐怖の色もない。むしろ愛おしそうにその表面を撫でている。縦横に走る蔦の表面には獣毛の様な短い毛が、ビッシリと生えそろっていた。まるでペットの体を撫でるようにして、その人物は蔦を撫でていた。
「良い子だ」
そう言って口元をほころばせた。
太陽が天頂に差し掛かるにはまだまだ時間が必要だった。蔦と葉の間を縫って、所々に光の帯が斜めに差し込んでいる。静かな深い森の中を思わせる光景だった。近くに聞こえる天竜川の水音が、清涼感ももたらしている。
まるで無人の森を散策するように、パーカーの人物は歩き始めた。実際の森と違うところは、辺りに生物の気配がしない事だけだろうか。小鳥たちの囀りも、虫たちの羽ばたきも無かった。
暫くして、パーカーの人物は立ち止まると、パーカーのポケットから何かを取り出した。黒くなめらかな輝きを持つ、細長い物だ。
「隠れても無駄だ」
そう言うと、取り出した細長い物を口元に当てた。
パーカーの人物の両手が踊ると同時に、独特の甲高く美しい旋律が流れ出す。黒い物は横笛だったのだ。
するとどうだろう。その音曲に合わせるように周囲の、いやこの森に見まごう程の蔦全体がうぞうそと身動きをするように動き出したではないか!
この笛の音が、巨大な蔦を操っているのだ!
では、この人物こそが、二つの巨大な妖花出現をもたらした人物なのだろうか。
笛の音につられて、蔦の動きが激しさを増す。パーカーの人物の目が、フードの奥で怪しく光った。
しかし、その怪しい目の光はすぐに驚愕と不審の色に取って変わった。笛の音に合わせて蠢いていた蔦の動きが、突如ぴたりと止まったのだ。パーカーの人物はまだ笛を吹き続けているのに!
良く聞けば、パーカーの人物の笛のねとは別の、もう一つの音が聞こえていた。優しく包み込むよな透き通った音だった。この音の前では、パーカーの人物が奏でた音など、雑音でしかなかった。
パーカーの人物の前方、蔦の影から、するりと音もなく一人の人物がその姿を現した。その口元には、銀色に眩しく輝くフルートの様な横笛があった。トレードマークのハートをあしらった淡い桜色のバトルスーツをまとい、濃い色のサングラスを掛けたその人物。
「まさか、ライダーハーツ・・・」
パーカーの人物の口から思わず言葉が漏れる。
「あら、私を知ってるの?光栄だわ。
でも、笛の腕はまだまだ修行が必要のようね。もうこの子達にあなたの音は届かないわよ」
ライダーハーツはそう言って、傍らの巨大な蔦をポンポンと叩くと、手にした笛をパーカーの人物にビシッと突きつけた。
「何を企んでいるのか知らないけど、その悪巧みもここまでよ。観念しなさい!」
「くっ・・・」
自らの不利を悟ったのであろう。ライダーハーツを前にしたパーカーの人物には、先程までと違い、明らかな狼狽の色が見えた。
「HAMAZO本部で、洗いざらい話して貰うわよ」
そう言って歩み寄るライダーハーツに、パーカーの人物が飛びかかった。ライダーハーツはさっと身を開くと、飛びかかってきたパーカーの人物の手首をとり、「ヤッ!」と気合いと共にひねる。パーカーの人物は自身の勢いを利用され、一回転して背中からしたたかに地面に打ち付けられた。
「無駄よ」
倒れたパーカーの人物を、ライダーハーツは腰に手を当てて見下ろした。
「・・・みたい・・・だな・・・」
背中を打った痛みで行きが上手くできないのだろう。咳き込みながらパーカーの人物はそう言うのがやっとだった。
「そう、初めから素直に従えばいいのよ」
パーカーの人物の観念した様子を見たライダーハーツに、一瞬の油断が生じた。その機を逃さす、パーカーの人物は後方に大きく跳ね起きながら蹴りを繰り出した。間一髪でガードするライダーハーツ。しかし、二人の距離は大きく開いてしまった。
「この勝負、私が勝った様だな」
そう言うと、パーカーの人物は持っていた黒い笛を縦にくわえると、その先から、何か小さな物が飛び出した。鋭いトゲのついた矢だ。黒い笛は、吹き矢にもなっていたのだ!
しかし、吹き矢の腕前は笛の腕前よりも大きく劣っているのだろう。飛び出した小さな矢はライダーハーツに当たる事はなかった。
「何処を狙っているの?」
と言おうとしたライダーハーツだったが、その言葉は全て発せられる事はなかった。ライダーハーツの脇に生えていた巨大な蔦に、その吹き矢が突き刺ささり、それと同時に、その部分から急速に黒い染みのような物が、緑の蔦を浸食していったのだ。
「これは・・・」
その瞬間だった。今まで沈黙を守ってきた巨大な蔦が突如として激しく動き出したのだ!もだえ苦しむように。吹き矢から広がった黒い染みのような物が、猛毒となって蔦を苦しめているのかもしれない。
「はっはっは!蔦に絞め殺されてしまうが良い!」
いよいよ激しさを増す巨大な蔦に囲まれ身動きの取れないライダーハーツに、パーカーの人物はそう言うと、くるりと身を翻し、荒れ狂う蔦の向こうへと姿を消したのだった。
「卑怯な!」
黒い染みの広がりに伴って苦しむ巨大な蔦を目の当たりにして、ライダーハーツはそう口走っていた。パーカーの人物が逃げ出した事ではない。異常な大きさではあるが、蔦は蔦、植物である事には変わりがない。その植物を傷つけ苦しめた事。それが許せなかった。
今や蠢く蔦は、緑の津波の様だったが、ライダーハーツにとって、荒れ狂う蔦をかいくぐり、パーカーの人物を負う事は難しい事ではなかった。それよりも、傷つき苦しむ蔦を放ってはおけなかった。
ライダーハーツは銀色に輝く笛を口元へ運ぶと、ゆっくりと曲を奏で始めた。笛の音が流れ出すと、緑の津波は次第に激しさを失って行き、ついには元の静かな蔦へと戻っていった。
静けさを取り戻した蔦の森の中、ライダーハーツの目の前に黒く変じた蔦があった。
「ごめんね」
そう言って、黒く偏食した部分をスパッと切り落とした。切り取られた蔦は、腐臭に似た匂いの黒い汁を出しながら次第に萎んで行き、小指程の太さの黒い干からびた姿になった。
ライダーハーツはその小さく干からびた黒い蔦を拾うと「許さない」と小さく呟いた。
2008年02月23日
五 第二の
真佐井と唐出がフラワーパークを後にしようとした時だった。
あの奇怪な鳴き声が再び響き渡ったのだ。
真上から叩きつけられる様に降ってきたその音に、バランスを崩す。衝撃波と呼ぶに相応しい程の鳴き声だった。事実、すぐ脇のフェンスがビリビリと振動している。
一瞬、激しい音に思考を奪われた二人が妖花を見上げると、その毒々しいまでに赤い花は東の方を向いていた。それは、向日葵が太陽の方向を向くのと同じ事なのだろうか。
反射的にその花の向いている方向を目で追った二人は、我が目を疑った。
妖花の向いた方向、東の空には朝日が昇っていたが、その手前、太陽よりもずっと近いところに赤い物がもう一つ浮いていた。
いや、正確には赤い花が空高く咲いていた。
新たな妖花の出現。
それは徹夜明けの二人を打ちのめすのに、余りある光景だった。
飛竜大橋からやや南東。祭の会場にも使われる天竜川の河川敷から、新たな妖花は空に向けそびえ立っていた。昨日フラワーパークに出現した妖花と決定的に違う点は、その根元から何本もの蔦が生えている事だった。妖花の根元で絡まり合った無数の蔦が、緑の檻を思わせる。さらにその緑の檻から四方八方に蔦が伸びていた。まるで蔦の爆弾を爆発させたかのようだった。
まだ朝の出勤時間には間がある。堤防沿いの道の交通量はまだ少なかったが、運悪くその蔦にはじき飛ばされたのだろう。トラックが一台堤防の下でひっくり返っている。もし、あと三十分遅かったなら、巻き込まれた台数は桁が違っていたはずだ。
昨日の朝と同じ奇怪な鳴き声が響き渡った。真佐井達がフラワーパークで聞いた声だった。甲高い、哀愁を感じるようなその鳴き声に答えるかのように、新たな妖花もまた、奇怪な鳴き声を辺りに轟かせた。
それは低く地の底から鳴り響く様な、呪わしさを感じる鳴き声だった。
野祢小乃葉(のね このは)が、その地の底から鳴り響くような声を聞いたのは、朝食の準備を丁度済ませた所、六時半を少しまわった位だった。
昨日の朝と同じ奇怪な鳴き声と、それに続く怨嗟の込められた声。
ただならぬ事態が生じている!
そう感じた小乃葉は、家を飛び出した。出勤途中なのだろう。スーツ姿の男性が車を止め、見上げるように西の方向を見ていた。小乃葉もその視線を追うように目を上に向ける。
そこには、朝の柔らかい空に咲いた、毒々しい色をした赤い花があった。
昨日フラワーパークに出現した妖花の事は知っていた。遠くからだが、その姿も目にした。しかし、今小乃葉の目の前に花開いているのは、また別の妖花だった。
天竜川?
妖花の巨大さ、異様さに目を奪われていた小乃葉だったが、はっと我に返ると、その妖花の方、まずは天竜川の堤防を目指して走り出した。
豊岡総合センターの森を抜け、一気に堤防を駆け上る。開けた視界に飛び込んできたのは、妖花の根元でぞわぞわとうねっている緑の固まりだった。幾重にも絡み合った巨大な蔦がドームの様にふくれあがり、それが遠目には緑の固まりに見えたのだ。
植物に属するが故に、日の光を浴びて活性化しているのだろうか。
小乃葉が見ている間にも、その蔦はうねりながら四方八方に伸び、次々と巨大な葉を茂らせていく。建設中の第二東名が今まさに、緑の洪水に飲み込まれようとしていた。
あの奇怪な鳴き声が再び響き渡ったのだ。
真上から叩きつけられる様に降ってきたその音に、バランスを崩す。衝撃波と呼ぶに相応しい程の鳴き声だった。事実、すぐ脇のフェンスがビリビリと振動している。
一瞬、激しい音に思考を奪われた二人が妖花を見上げると、その毒々しいまでに赤い花は東の方を向いていた。それは、向日葵が太陽の方向を向くのと同じ事なのだろうか。
反射的にその花の向いている方向を目で追った二人は、我が目を疑った。
妖花の向いた方向、東の空には朝日が昇っていたが、その手前、太陽よりもずっと近いところに赤い物がもう一つ浮いていた。
いや、正確には赤い花が空高く咲いていた。
新たな妖花の出現。
それは徹夜明けの二人を打ちのめすのに、余りある光景だった。
飛竜大橋からやや南東。祭の会場にも使われる天竜川の河川敷から、新たな妖花は空に向けそびえ立っていた。昨日フラワーパークに出現した妖花と決定的に違う点は、その根元から何本もの蔦が生えている事だった。妖花の根元で絡まり合った無数の蔦が、緑の檻を思わせる。さらにその緑の檻から四方八方に蔦が伸びていた。まるで蔦の爆弾を爆発させたかのようだった。
まだ朝の出勤時間には間がある。堤防沿いの道の交通量はまだ少なかったが、運悪くその蔦にはじき飛ばされたのだろう。トラックが一台堤防の下でひっくり返っている。もし、あと三十分遅かったなら、巻き込まれた台数は桁が違っていたはずだ。
昨日の朝と同じ奇怪な鳴き声が響き渡った。真佐井達がフラワーパークで聞いた声だった。甲高い、哀愁を感じるようなその鳴き声に答えるかのように、新たな妖花もまた、奇怪な鳴き声を辺りに轟かせた。
それは低く地の底から鳴り響く様な、呪わしさを感じる鳴き声だった。
野祢小乃葉(のね このは)が、その地の底から鳴り響くような声を聞いたのは、朝食の準備を丁度済ませた所、六時半を少しまわった位だった。
昨日の朝と同じ奇怪な鳴き声と、それに続く怨嗟の込められた声。
ただならぬ事態が生じている!
そう感じた小乃葉は、家を飛び出した。出勤途中なのだろう。スーツ姿の男性が車を止め、見上げるように西の方向を見ていた。小乃葉もその視線を追うように目を上に向ける。
そこには、朝の柔らかい空に咲いた、毒々しい色をした赤い花があった。
昨日フラワーパークに出現した妖花の事は知っていた。遠くからだが、その姿も目にした。しかし、今小乃葉の目の前に花開いているのは、また別の妖花だった。
天竜川?
妖花の巨大さ、異様さに目を奪われていた小乃葉だったが、はっと我に返ると、その妖花の方、まずは天竜川の堤防を目指して走り出した。
豊岡総合センターの森を抜け、一気に堤防を駆け上る。開けた視界に飛び込んできたのは、妖花の根元でぞわぞわとうねっている緑の固まりだった。幾重にも絡み合った巨大な蔦がドームの様にふくれあがり、それが遠目には緑の固まりに見えたのだ。
植物に属するが故に、日の光を浴びて活性化しているのだろうか。
小乃葉が見ている間にも、その蔦はうねりながら四方八方に伸び、次々と巨大な葉を茂らせていく。建設中の第二東名が今まさに、緑の洪水に飲み込まれようとしていた。
2008年02月17日
四 夜明け
夕方。夕日が西の空を赤く染めている。長くなった日に、家路につく車達はまだヘッドライトを点灯していなかった。しかし、ここでは昼間を思わせる程に、作業用の投光器が煌々と辺りを照らし出していた。
フラワーパークに出現した妖花の根元。昼間にHAMAZOの分析班員達が、棘のある楕円形の物体に飲み込まれた現場だ。真佐井と唐出が見守る中、オレンジの作業服を着たHAMAZOレスキュー隊員が作業していた。交通事故の際に潰れた車体を切り開き、こじ開ける為の工具類が持ち込まれ、穴の外へとそれらの太いケーブルが何本も延びている。穴の外では、発電機のエンジンが低いうなりを上げていた。
今は、便宜上マンイーターと名付けられたこの棘だらけの物体を、本体から切り離す作業に取りかかっていた。表面を覆っていた鋭い棘は、既に全て切り取られている。
地面に刻まれたぞっとするような爪痕は、今は踏み荒らされ消えていた。異変に気がついた真佐井達がここへ駆けつけた時には、調査機器や書類が、嵐に遭ったように散らばり、マンイーターに向かって地面に爪痕がくっきりと残っていたのだ。引きずり込まれまいと必死に爪を立てたであろう分析班員達の爪痕だった。
人食い植物、マンイーター。
真佐井の拳が怒りと自責の念で震えている。
もし自分がこの場にいれば・・・。
誰もがもっと警戒すべきだったのだ。分析班員達がマンイーターに飲み込まれてから、どれだけの時間が経過したのだろう。あの中でまだ無事でいるだろうか。
外からの呼びかけに、マンイーターは沈黙したままだった。全員が最悪の結果を想定しながら、決して口には出さなかった。言葉にした瞬間に、現実の物となってしまいそうだったからだ。
今はただ、レスキュー隊の作業を見守るしかなかった。
真佐井が穴の中で作業を見守っている間、唐出は穴の外で周辺警戒に当たっていた。第二のマンイーターが、また新たな蔦怪人が現れない保証は無いからだ。
無惨に砕けた池の底に降り、ぐるっと園内を一周した。スロープを上ってきた唐出の目に、不思議とそこだけ無事に残っているお土産売り場が映る。それがより一層、今起きている事を、非現実的なものに感じさせた。
東の空には既に数個の星が瞬いている。駐車場に待機している救急車両とパトカーの赤色灯が、暗さを増していく風景を嫌な色で浮かび上がらせていた。
妖花出現から一夜明けたその日を、真佐井達は重々しい雰囲気の中で迎えた。
レスキュー隊が全ての作業を終え、マンイーターに飲み込まれた分析班員達をその中から救出し終えたのは、夜が明ける直前だった。妖花はもちろん、マンイーターを構成する組織が、コンクリートのように堅く、植物特有の筋が鉄骨の様にその内部に走っていた為であった。
「弾力が有るだけに、鉄筋コンクリートよりもやっかいだ」
とは、作業に当たったレスキュー隊員の感想である。
救出された分析班員達はすぐに救急車両に乗せられ、病院へと搬送された。誰もが無口だった。マンイーターの内部は強力な溶解液で満たされており、とても「救出」と呼べたものではなかったからだ。
そんな真佐井達の気持ちとは裏腹に、空は五月晴れに澄み渡り、何もなければ清々しいといえる朝日が東の空に姿を見せていた。
このままでは終わらせない。
全てのマンイーターが切り取られ、妖花の根がむき出しになった穴を覗き込んだ真佐井の中に、堅い決意が芽生えていた。
夜を徹しての作業に目は落ちくぼんでいたが、そこに宿る光には微塵も曇りが無かった。
今はもううなりを潜めた発電機と、役目を終えた投光器がクリスタルパレスの残骸の中朝日を浴びていた。その向こうから、レスキュー隊の引き上げを確認してきた唐出が現れ、前に無言で拳を突き出した。
それを真佐井も拳で受けた。
笑顔は作らなかった。
作れなかった。
使い古された言葉が真佐井の脳裏を過ぎる。
明けない夜はない。
二人の戦士は、そう信じて闘い抜く覚悟を決めたのだ。
フラワーパークに出現した妖花の根元。昼間にHAMAZOの分析班員達が、棘のある楕円形の物体に飲み込まれた現場だ。真佐井と唐出が見守る中、オレンジの作業服を着たHAMAZOレスキュー隊員が作業していた。交通事故の際に潰れた車体を切り開き、こじ開ける為の工具類が持ち込まれ、穴の外へとそれらの太いケーブルが何本も延びている。穴の外では、発電機のエンジンが低いうなりを上げていた。
今は、便宜上マンイーターと名付けられたこの棘だらけの物体を、本体から切り離す作業に取りかかっていた。表面を覆っていた鋭い棘は、既に全て切り取られている。
地面に刻まれたぞっとするような爪痕は、今は踏み荒らされ消えていた。異変に気がついた真佐井達がここへ駆けつけた時には、調査機器や書類が、嵐に遭ったように散らばり、マンイーターに向かって地面に爪痕がくっきりと残っていたのだ。引きずり込まれまいと必死に爪を立てたであろう分析班員達の爪痕だった。
人食い植物、マンイーター。
真佐井の拳が怒りと自責の念で震えている。
もし自分がこの場にいれば・・・。
誰もがもっと警戒すべきだったのだ。分析班員達がマンイーターに飲み込まれてから、どれだけの時間が経過したのだろう。あの中でまだ無事でいるだろうか。
外からの呼びかけに、マンイーターは沈黙したままだった。全員が最悪の結果を想定しながら、決して口には出さなかった。言葉にした瞬間に、現実の物となってしまいそうだったからだ。
今はただ、レスキュー隊の作業を見守るしかなかった。
真佐井が穴の中で作業を見守っている間、唐出は穴の外で周辺警戒に当たっていた。第二のマンイーターが、また新たな蔦怪人が現れない保証は無いからだ。
無惨に砕けた池の底に降り、ぐるっと園内を一周した。スロープを上ってきた唐出の目に、不思議とそこだけ無事に残っているお土産売り場が映る。それがより一層、今起きている事を、非現実的なものに感じさせた。
東の空には既に数個の星が瞬いている。駐車場に待機している救急車両とパトカーの赤色灯が、暗さを増していく風景を嫌な色で浮かび上がらせていた。
妖花出現から一夜明けたその日を、真佐井達は重々しい雰囲気の中で迎えた。
レスキュー隊が全ての作業を終え、マンイーターに飲み込まれた分析班員達をその中から救出し終えたのは、夜が明ける直前だった。妖花はもちろん、マンイーターを構成する組織が、コンクリートのように堅く、植物特有の筋が鉄骨の様にその内部に走っていた為であった。
「弾力が有るだけに、鉄筋コンクリートよりもやっかいだ」
とは、作業に当たったレスキュー隊員の感想である。
救出された分析班員達はすぐに救急車両に乗せられ、病院へと搬送された。誰もが無口だった。マンイーターの内部は強力な溶解液で満たされており、とても「救出」と呼べたものではなかったからだ。
そんな真佐井達の気持ちとは裏腹に、空は五月晴れに澄み渡り、何もなければ清々しいといえる朝日が東の空に姿を見せていた。
このままでは終わらせない。
全てのマンイーターが切り取られ、妖花の根がむき出しになった穴を覗き込んだ真佐井の中に、堅い決意が芽生えていた。
夜を徹しての作業に目は落ちくぼんでいたが、そこに宿る光には微塵も曇りが無かった。
今はもううなりを潜めた発電機と、役目を終えた投光器がクリスタルパレスの残骸の中朝日を浴びていた。その向こうから、レスキュー隊の引き上げを確認してきた唐出が現れ、前に無言で拳を突き出した。
それを真佐井も拳で受けた。
笑顔は作らなかった。
作れなかった。
使い古された言葉が真佐井の脳裏を過ぎる。
明けない夜はない。
二人の戦士は、そう信じて闘い抜く覚悟を決めたのだ。
2007年09月29日
三 幕間
「この春、名古屋から移動になりました。よろしくお願いします」
そう言って唐出は左手にしたBAT腕時計を真佐井に見せた。それはHAMAZOの武道アクションチームに属する者だけが身につけている腕時計だ。真佐井の左手にある物と一緒だった。
「では、君があの・・・」
「ええ、名古屋のポンタロスです」
真佐井の言葉を唐出が引き継ぎながら、右手を差し出した。真佐井がその手をぐっと握り返す。
「こちらこそ。この様な時にポンタロスが来てくれたとは心強い」
蔦怪人を倒したものの、正直なところ、真佐井はまだ本調子では無かった。春先のシャドウとの死闘で負った傷は既に癒えていたが、体の芯にはまだ重い感じが残ったままだったのだ。それがなければ、左肩に蔦怪人の一撃を食らう事も無かっただろう。
巨大な妖花の出現に加えて蔦怪人の出現。
今また傷を負った真佐井には、ポンタロスの存在が頼もしかった。
「しかし、どうしてここへ?」
「HAMAZOの一員として、特にBATとしては見過ごす訳にいきませんからね」
唐出が脇にそびえる妖花を見上げる。
五月晴れの空に誇らしげに屹立する妖花。その濃い赤と緑は南国の植物を連想させる。しかし既存の植物のどれとも違っている事は確かだろう。分析班の解析を待たずともそれだけは確信できた。
「丁度真佐井さんが蔦怪人と交戦中だったので、見物していました。いざとなれば助けに入るつもりでしたが、やはり不要でしたね」
真佐井は軽く頷くだけに留まった。唐出の目には余裕があるように映ったのだろうが、身体の切れが悪い事は紛れもない事実だったのだ。必殺技を出さねばならない程に。
やはり一線で働くにはそろそろ限界なのだろうか。
まだまだやれる!との思いが強いだけに、真佐井は自分の身体が思う様に動かない事が歯がゆかった。
浜松市内某所。雑居ビルの地下にあるHAMAZO本部。
真佐井は約二ヶ月ぶりに訪れた。春先のシャドウとの死闘で負った怪我を癒す為、三月後半から休暇を取っていたのだ。四月の異動で本部の人間も入れ替わりがあったようだ。ちらほらと見知らぬ顔がいる。
破壊されたフラワーパークで蔦怪人を倒した後に現れた唐出と共に、一通り見回ってから本部へ顔を出したのだ。今朝の出来事の報告と、今後の対応を相談する為である。結局あの蔦怪人意外にはこれといった変化も見られず、後の処理は、駆けつけた近くのHAMAZO隊員に任せてきたのだ。
現場からの真佐井の報告で、HAMAZOには既に蔦怪人対策本部が設置されていた。
「もう怪我は良いのかね?」
一通りの報告を終えた後、対策本部長を兼任するHAMAZO総務部長の高橋が話しかけてきた。高橋は今は一線を退いているものの、その昔BAT隊長として真佐井と共に戦った事もある。還暦間近の高橋は、真佐井にとって年の離れた兄のような存在だった。
「おかげさまで。それより、あの巨大な妖花と蔦怪人の関係が気になります」
「いったい・・・。ああ、持って来てくれたサンプルは先程分析班に回しておいた。今日中には何らかの答えがでるだろうが、それにしても、あれは・・・」
あれだけの巨大植物の出現は過去に例がなかった。高橋が渋面を作る。
「燃えてしまったのが残念ですが、蔦怪人も気になります。植物が人の形態をとったのか、それとも人が・・・」
真佐井が最も危惧している点である。もし人があのような怪人に変じたのだとすれば、その原因を取り除かない限り犠牲者が出る事になる。何よりも戦う相手としては、植物の方が気が楽だった。
もし人が変じたのであれば、救えるものなら救いたい。それが真佐井の本心であった。
「こいつはいったいなんだ?」
フラワーパークではHAMAZOの分析班員が妖花の調査に首をひねっていた。巨大な妖花の根本近くから、棘に覆われた楕円形の固まりが出てきたのだ。その数十三。大きさは棘を含めると、直径で三メートルを超える。
幾重にも絡み合った太い根をかき分けていく内に、その内部に出来た空洞から見つかったのだ。この植物の実の様にも見えるが、真ん中に線が縦に走っており、そこから二つに割れそうである。巨大なハエトリソウに見えなくもない。
「とりあえず写真とサンプルを取っておくか」
今日の朝、爆発的に成長しフラワーパークを破壊して以来何の変化も見せない妖花。しかも真佐井が蔦怪人を倒し、他には特に目立つものはなかったとの報告を受けている。そこに、油断が無かった言えば嘘になるだろう。
カメラのフラッシュに反応したのだろうか。楕円形をしたその物体が突如二つに割れ、そこから触手の様なものが延びたかと思うと、瞬く間にその場にいた分析員達を絡め取り、その中に引きずり込んでしまったのだ。
食人植物。
それがこの楕円形の物体の正体であった。
しかし、本当にフラッシュに反応したのだろうか。もし光に反応するのであれば、覆っていた根を取り除いた今、日の光が至る所に降り注いでいる。また、音や体温に反応するのであれば、分析員達が近づいた時に反応するはずである。
その謎を解く鍵は、その場からそっと立ち去った人影が知っているに違いない。その手に笛の様な物を持った人物が。
そう言って唐出は左手にしたBAT腕時計を真佐井に見せた。それはHAMAZOの武道アクションチームに属する者だけが身につけている腕時計だ。真佐井の左手にある物と一緒だった。
「では、君があの・・・」
「ええ、名古屋のポンタロスです」
真佐井の言葉を唐出が引き継ぎながら、右手を差し出した。真佐井がその手をぐっと握り返す。
「こちらこそ。この様な時にポンタロスが来てくれたとは心強い」
蔦怪人を倒したものの、正直なところ、真佐井はまだ本調子では無かった。春先のシャドウとの死闘で負った傷は既に癒えていたが、体の芯にはまだ重い感じが残ったままだったのだ。それがなければ、左肩に蔦怪人の一撃を食らう事も無かっただろう。
巨大な妖花の出現に加えて蔦怪人の出現。
今また傷を負った真佐井には、ポンタロスの存在が頼もしかった。
「しかし、どうしてここへ?」
「HAMAZOの一員として、特にBATとしては見過ごす訳にいきませんからね」
唐出が脇にそびえる妖花を見上げる。
五月晴れの空に誇らしげに屹立する妖花。その濃い赤と緑は南国の植物を連想させる。しかし既存の植物のどれとも違っている事は確かだろう。分析班の解析を待たずともそれだけは確信できた。
「丁度真佐井さんが蔦怪人と交戦中だったので、見物していました。いざとなれば助けに入るつもりでしたが、やはり不要でしたね」
真佐井は軽く頷くだけに留まった。唐出の目には余裕があるように映ったのだろうが、身体の切れが悪い事は紛れもない事実だったのだ。必殺技を出さねばならない程に。
やはり一線で働くにはそろそろ限界なのだろうか。
まだまだやれる!との思いが強いだけに、真佐井は自分の身体が思う様に動かない事が歯がゆかった。
浜松市内某所。雑居ビルの地下にあるHAMAZO本部。
真佐井は約二ヶ月ぶりに訪れた。春先のシャドウとの死闘で負った怪我を癒す為、三月後半から休暇を取っていたのだ。四月の異動で本部の人間も入れ替わりがあったようだ。ちらほらと見知らぬ顔がいる。
破壊されたフラワーパークで蔦怪人を倒した後に現れた唐出と共に、一通り見回ってから本部へ顔を出したのだ。今朝の出来事の報告と、今後の対応を相談する為である。結局あの蔦怪人意外にはこれといった変化も見られず、後の処理は、駆けつけた近くのHAMAZO隊員に任せてきたのだ。
現場からの真佐井の報告で、HAMAZOには既に蔦怪人対策本部が設置されていた。
「もう怪我は良いのかね?」
一通りの報告を終えた後、対策本部長を兼任するHAMAZO総務部長の高橋が話しかけてきた。高橋は今は一線を退いているものの、その昔BAT隊長として真佐井と共に戦った事もある。還暦間近の高橋は、真佐井にとって年の離れた兄のような存在だった。
「おかげさまで。それより、あの巨大な妖花と蔦怪人の関係が気になります」
「いったい・・・。ああ、持って来てくれたサンプルは先程分析班に回しておいた。今日中には何らかの答えがでるだろうが、それにしても、あれは・・・」
あれだけの巨大植物の出現は過去に例がなかった。高橋が渋面を作る。
「燃えてしまったのが残念ですが、蔦怪人も気になります。植物が人の形態をとったのか、それとも人が・・・」
真佐井が最も危惧している点である。もし人があのような怪人に変じたのだとすれば、その原因を取り除かない限り犠牲者が出る事になる。何よりも戦う相手としては、植物の方が気が楽だった。
もし人が変じたのであれば、救えるものなら救いたい。それが真佐井の本心であった。
「こいつはいったいなんだ?」
フラワーパークではHAMAZOの分析班員が妖花の調査に首をひねっていた。巨大な妖花の根本近くから、棘に覆われた楕円形の固まりが出てきたのだ。その数十三。大きさは棘を含めると、直径で三メートルを超える。
幾重にも絡み合った太い根をかき分けていく内に、その内部に出来た空洞から見つかったのだ。この植物の実の様にも見えるが、真ん中に線が縦に走っており、そこから二つに割れそうである。巨大なハエトリソウに見えなくもない。
「とりあえず写真とサンプルを取っておくか」
今日の朝、爆発的に成長しフラワーパークを破壊して以来何の変化も見せない妖花。しかも真佐井が蔦怪人を倒し、他には特に目立つものはなかったとの報告を受けている。そこに、油断が無かった言えば嘘になるだろう。
カメラのフラッシュに反応したのだろうか。楕円形をしたその物体が突如二つに割れ、そこから触手の様なものが延びたかと思うと、瞬く間にその場にいた分析員達を絡め取り、その中に引きずり込んでしまったのだ。
食人植物。
それがこの楕円形の物体の正体であった。
しかし、本当にフラッシュに反応したのだろうか。もし光に反応するのであれば、覆っていた根を取り除いた今、日の光が至る所に降り注いでいる。また、音や体温に反応するのであれば、分析員達が近づいた時に反応するはずである。
その謎を解く鍵は、その場からそっと立ち去った人影が知っているに違いない。その手に笛の様な物を持った人物が。
2007年09月07日
二 登場
五月連休に特有の熱気の名残も消え、街はいつもの静寂を取り戻していた。
清々しい朝だった。昨日までの雨が上がり、素晴らしい晴天が期待できるだろう。そんな朝だった。
真佐井はいつもの早朝トレーニングをこなし、早くも初夏の雰囲気を感じさせる様な風に一息ついている。日毎に強くなる日差しに、木々はその葉を濃く茂らせ、あちこちで鳥達が囀り合っていた。
それが現れたのは、そんな時だった。
それは今にして思えば、あの生物の産声だったのだろう。大地を揺るがす振動と破壊音に続いて、大気を振るわせる奇怪な鳴き声が響き渡った。
その鳴き声は獣の物でも、鳥の物でもなかった。今までに聞いた事がない奇怪な鳴き声。一番近いと思われるのは、昔の特撮番組で聞いた怪獣の声だった。
真佐井はその鳴き声の中に、喜び、苦しみ、悲しみが入り交じっているように感じた。
「何だあれは?・・・」
素早く視界が開けている場所へ出た真佐井は、我が目を疑った。
真佐井の視界に映る背景一面に、抜けるような青空が広がっている。そこに、明らかに場違いな物が突如として出現していた。
それは、真っ赤な花弁を天に向かって誇らしげに広げた花だった。真佐井にはそれを花としか形容できなかった。
その高さは、数十メートルはあるだろう。あまりにも巨大すぎて、距離感が上手く掴めないが、その花がそびえ立っているのは、フラワーパークの辺りだろう。
青い空を突き刺すように、伸び広がった赤い花弁。それを無数に絡み合った毒々しい程の緑の蔦が支えている。蔦に葉は無く、代わりに遠目でも分かる程の巨大な棘が生えている。冗談のような光景だった。
手足が我知らずの内に震え、早くなった心臓の動きに、こめかみがガンガンと脈打っている。真佐井の胸の内に去来した感情は、畏怖なのだろうか。
ふと見れば、傍らに座る愛犬が珍しくしっぽを股の間に入れている。普段は豪気な愛犬もまた、唯ならぬものを感じているらしい。
急ブレーキに鳴く複数のタイヤ音に続いて、激しい衝撃音が聞こえてきた。
真佐井はその音にはっと我に返る。しばしの間、あまりにも異様な光景に我を忘れていたのだ。聞こえて来た音の感じから、事故現場はそう離れてはいない。あの異様な花の出現に驚いたドライバーが事故を起こしたに違いなかった。
「行くぞ」
愛犬にそう声を掛け、真佐井は事故現場に向け駆けだした。まずは出来る事からやる。それが長い闘いの中で真佐井が学んできた事だった。
辺りの大気には異様な緊張が満ちていた。先程までのさわやかな雰囲気など、もう何処にも無かった。
まだ、これからだ。これはほんの始まりに過ぎない。
真佐井の感がそう告げていた。
アスファルトを突き破って見えているのは根だろうか。それは、木の幹を思わせる堅い樹皮に覆われていた。長い一匹の蛇が暴れ回っている、その光景は、そんな印象を抱かせた。
フラワーパークの駐車場はあちこちでひび割れ、そこから堅い樹皮に覆われた根のような物が覗いている。舘山寺街道も所々波打ち、車がまともに走れる状態では無かった。
通勤途中なのだろう。ネクタイを締めたドライバーが、車を止め携帯電話で何かを話している、あるいは道路のうねりを器用に避けて通過していく。時刻は午前七時にまだなっていない。まだ通行車両は多くなかった為だろう。ここに来るまで、事故車両は先程の一台だけだった。
真佐井はバイクを安全な場所に停めると、一人フラワーパークの中へと足を進めた。
入り口の扉は直下型地震を受けたかの様にぐにゃりとひしゃげ、警報がピーピーと力なく鳴っている。真佐井はその隙間に身体を滑り込ませるようにして中へと入った。もちろん、違法な侵入である。しかし、今はそんな事を気にしている場合ではなかった。
真佐井が外の惨状から想像していたよりも、園内の被害は少なかった。
とは言え、噴水のある池は底が割れ、先程の根が数本覗いている。何処かで水道管が破れたのだろう、勢いよく水しぶきが上がっている。クリスタルパレスへと続く道には何の変化も見られなかったが、肝心のクリスタルパレスは、見事なまでに破壊されていた。
天に向かってそびえ立つ緑の柱。そのてっぺんに広がる真っ赤な花。真佐井が見たアレである。
それがクリスタルパレスのど真ん中から生えているのだ。その直径は数メートルはあるだろう。屋根は吹き飛び、辺りにその破片が散乱している。
真佐井の他に動くものの気配は無いが、神経を研ぎ澄ませながら慎重に歩を進める。途中、自動販売機から溢れ出た缶ジュースの山が音を立てて崩れ、一瞬緊張が走ったが、それ以外には何事もなくクリスタルパレスに辿り着いた。
「でかいな・・・」
クリスタルパレスの入り口で、改めて見上げた妖花のあまりの大きさに、思わず口をついて出る。高層ビル並みの高さがありそうだった。
いったい何がどうなっているのか。おそらくは植物の類だろうが、大きさといい、現れ方といい、通常の生物の範疇ではない。どちらにしろ、本部の分析班の手を借りる以外になさそうだと、こちらは心の中で呟いた。
もしやこれもシャドウの?
真佐井の脳裏をある予感が過ぎった。が、すぐに打ち消す。シャドウはあの時、確かにこの手で壊滅させたはずだ、と。
だいいち、ダークマターは本部の機密庫に厳重に保管されているのだ。シャドウのはずがなかった。
その時だった。
真佐井は自分の思考に暫し注意力を奪われていたのだろう。その不意打ちを避けきる事が出来なかった。
大きく横へ飛び込むように避けたが、その一撃は真佐井の左肩を捉えていた。
「!」
声にならない叫びが出る。真佐井の肩がざっくりと裂け、血が飛び散る。ほんの一瞬でも反応が遅れていたなら、首を千切られていたかも知れなかった。
真佐井は肩を押さえながら、壊れた自動販売機を背に体制を整えた。
その目に映ったのは、奇怪な人物だった。皮膚はほとんどが緑に変色し、かろうじて顔の一部だけが、元通りの肌色を保っている。両腕には葉の生えた蔦が無数に絡みつき、配管がむき出しになっているロボットの腕を思わせた。指は硬い樹木状の爪に変化している。これが真佐井の左肩を切り裂いたのだ。
今、蔦怪人は膝をついた真佐井を見失ったかのように、顔をゆっくりと左右に動かしている。目を見ると虚ろで視点が定まっていない。もしかすると視力が無いのかも知れない。
左腕が多少痺れるが、指も動く。出血を考えると早めにけりをつける必要がありそうだった。
真佐井は腕時計のボタンを押し、チャージ量を確認した。蔦怪人を倒すには十分な量だ。万が一不足しても、ここには電源がある。
「電装!」
真佐井はそう叫ぶと、クロスさせた両腕を額の前に翳した。
一瞬の目映い光と共に、真佐井を青いバトルスーツが包み込む。真佐井が、雷弾 尊(らいだん みこと)へと変身したのだ。
「雷弾、見参!」
ポーズを決めた雷弾の身体に、変身時の名残である小さな稲妻が走る。
蔦怪人が雷弾の存在を確認したのだろう。首をひねると、その姿からは想像つかない速さで雷弾に飛びかかってきた。
しかし、常人では避け得ないその素早さも、雷弾には通じない。蔦怪人を軽くいなすと同時に、その側頭部へ右フックをたたき込み、その勢いで回し蹴りを放った。雷弾の蹴りは確実に蔦怪人の後頭部を捉えた。
蹴りを受け倒れる蔦怪人。
だが、雷弾は油断無く構えを解く事は無かった。案の定、蔦怪人は何事もなかったかの様に起きあがる。蔦怪人から伝わってきた突きや蹴りの感触が人のそれではなく、丸太を相手にしている様な感じだったからだ。
「サンダーチャージ!」
蔦怪人が起きあがると同時に、雷弾が両拳を胸の前で付き合わせる。見る見るうちに両の拳に電光が走り始め、青白く光り出す。
振り返り襲い来る蔦怪人の両手を払いのけると、雷弾はその懐に入り込み、蔦怪人の胸に両こぶしを押し当てた。
「サンダークラッシュ!」
バチュッ!
音と共に、雷弾の両拳に蓄えられた電力が一気に解放される。一瞬にして、蔦怪人は動きを止め、その全身から白い湯気が立ち上り始めた。
素早く雷弾が身を引くのと、その湯気が炎に変わるのとはほぼ同時だった。蔦怪人は声もなく炎に包まれたまま、立ちつくしている。
ふっと力を抜く雷弾に背後から声が掛かる。
「お見事!これが噂に聞く雷弾拳なんですね~」
見ればクリスタルパレスのがれきの山の上に、一人の男が立っていた。言葉からも態度からも殺気は感じない。それよりも、いつからそこに立っていたのだろうか。声を掛けられるまで気配を感じなかったのだ。相当の手練れだろう。
「何者だ?」
雷弾の詰問にその男はにっこり微笑むと、がれきの山を一息で飛び降り、雷弾に握手を求めた。
「いや~、失礼。私は唐出本太郎(からで ほんたろう)。真佐井さんと同じくHAMAZOの一員です」
清々しい朝だった。昨日までの雨が上がり、素晴らしい晴天が期待できるだろう。そんな朝だった。
真佐井はいつもの早朝トレーニングをこなし、早くも初夏の雰囲気を感じさせる様な風に一息ついている。日毎に強くなる日差しに、木々はその葉を濃く茂らせ、あちこちで鳥達が囀り合っていた。
それが現れたのは、そんな時だった。
それは今にして思えば、あの生物の産声だったのだろう。大地を揺るがす振動と破壊音に続いて、大気を振るわせる奇怪な鳴き声が響き渡った。
その鳴き声は獣の物でも、鳥の物でもなかった。今までに聞いた事がない奇怪な鳴き声。一番近いと思われるのは、昔の特撮番組で聞いた怪獣の声だった。
真佐井はその鳴き声の中に、喜び、苦しみ、悲しみが入り交じっているように感じた。
「何だあれは?・・・」
素早く視界が開けている場所へ出た真佐井は、我が目を疑った。
真佐井の視界に映る背景一面に、抜けるような青空が広がっている。そこに、明らかに場違いな物が突如として出現していた。
それは、真っ赤な花弁を天に向かって誇らしげに広げた花だった。真佐井にはそれを花としか形容できなかった。
その高さは、数十メートルはあるだろう。あまりにも巨大すぎて、距離感が上手く掴めないが、その花がそびえ立っているのは、フラワーパークの辺りだろう。
青い空を突き刺すように、伸び広がった赤い花弁。それを無数に絡み合った毒々しい程の緑の蔦が支えている。蔦に葉は無く、代わりに遠目でも分かる程の巨大な棘が生えている。冗談のような光景だった。
手足が我知らずの内に震え、早くなった心臓の動きに、こめかみがガンガンと脈打っている。真佐井の胸の内に去来した感情は、畏怖なのだろうか。
ふと見れば、傍らに座る愛犬が珍しくしっぽを股の間に入れている。普段は豪気な愛犬もまた、唯ならぬものを感じているらしい。
急ブレーキに鳴く複数のタイヤ音に続いて、激しい衝撃音が聞こえてきた。
真佐井はその音にはっと我に返る。しばしの間、あまりにも異様な光景に我を忘れていたのだ。聞こえて来た音の感じから、事故現場はそう離れてはいない。あの異様な花の出現に驚いたドライバーが事故を起こしたに違いなかった。
「行くぞ」
愛犬にそう声を掛け、真佐井は事故現場に向け駆けだした。まずは出来る事からやる。それが長い闘いの中で真佐井が学んできた事だった。
辺りの大気には異様な緊張が満ちていた。先程までのさわやかな雰囲気など、もう何処にも無かった。
まだ、これからだ。これはほんの始まりに過ぎない。
真佐井の感がそう告げていた。
アスファルトを突き破って見えているのは根だろうか。それは、木の幹を思わせる堅い樹皮に覆われていた。長い一匹の蛇が暴れ回っている、その光景は、そんな印象を抱かせた。
フラワーパークの駐車場はあちこちでひび割れ、そこから堅い樹皮に覆われた根のような物が覗いている。舘山寺街道も所々波打ち、車がまともに走れる状態では無かった。
通勤途中なのだろう。ネクタイを締めたドライバーが、車を止め携帯電話で何かを話している、あるいは道路のうねりを器用に避けて通過していく。時刻は午前七時にまだなっていない。まだ通行車両は多くなかった為だろう。ここに来るまで、事故車両は先程の一台だけだった。
真佐井はバイクを安全な場所に停めると、一人フラワーパークの中へと足を進めた。
入り口の扉は直下型地震を受けたかの様にぐにゃりとひしゃげ、警報がピーピーと力なく鳴っている。真佐井はその隙間に身体を滑り込ませるようにして中へと入った。もちろん、違法な侵入である。しかし、今はそんな事を気にしている場合ではなかった。
真佐井が外の惨状から想像していたよりも、園内の被害は少なかった。
とは言え、噴水のある池は底が割れ、先程の根が数本覗いている。何処かで水道管が破れたのだろう、勢いよく水しぶきが上がっている。クリスタルパレスへと続く道には何の変化も見られなかったが、肝心のクリスタルパレスは、見事なまでに破壊されていた。
天に向かってそびえ立つ緑の柱。そのてっぺんに広がる真っ赤な花。真佐井が見たアレである。
それがクリスタルパレスのど真ん中から生えているのだ。その直径は数メートルはあるだろう。屋根は吹き飛び、辺りにその破片が散乱している。
真佐井の他に動くものの気配は無いが、神経を研ぎ澄ませながら慎重に歩を進める。途中、自動販売機から溢れ出た缶ジュースの山が音を立てて崩れ、一瞬緊張が走ったが、それ以外には何事もなくクリスタルパレスに辿り着いた。
「でかいな・・・」
クリスタルパレスの入り口で、改めて見上げた妖花のあまりの大きさに、思わず口をついて出る。高層ビル並みの高さがありそうだった。
いったい何がどうなっているのか。おそらくは植物の類だろうが、大きさといい、現れ方といい、通常の生物の範疇ではない。どちらにしろ、本部の分析班の手を借りる以外になさそうだと、こちらは心の中で呟いた。
もしやこれもシャドウの?
真佐井の脳裏をある予感が過ぎった。が、すぐに打ち消す。シャドウはあの時、確かにこの手で壊滅させたはずだ、と。
だいいち、ダークマターは本部の機密庫に厳重に保管されているのだ。シャドウのはずがなかった。
その時だった。
真佐井は自分の思考に暫し注意力を奪われていたのだろう。その不意打ちを避けきる事が出来なかった。
大きく横へ飛び込むように避けたが、その一撃は真佐井の左肩を捉えていた。
「!」
声にならない叫びが出る。真佐井の肩がざっくりと裂け、血が飛び散る。ほんの一瞬でも反応が遅れていたなら、首を千切られていたかも知れなかった。
真佐井は肩を押さえながら、壊れた自動販売機を背に体制を整えた。
その目に映ったのは、奇怪な人物だった。皮膚はほとんどが緑に変色し、かろうじて顔の一部だけが、元通りの肌色を保っている。両腕には葉の生えた蔦が無数に絡みつき、配管がむき出しになっているロボットの腕を思わせた。指は硬い樹木状の爪に変化している。これが真佐井の左肩を切り裂いたのだ。
今、蔦怪人は膝をついた真佐井を見失ったかのように、顔をゆっくりと左右に動かしている。目を見ると虚ろで視点が定まっていない。もしかすると視力が無いのかも知れない。
左腕が多少痺れるが、指も動く。出血を考えると早めにけりをつける必要がありそうだった。
真佐井は腕時計のボタンを押し、チャージ量を確認した。蔦怪人を倒すには十分な量だ。万が一不足しても、ここには電源がある。
「電装!」
真佐井はそう叫ぶと、クロスさせた両腕を額の前に翳した。
一瞬の目映い光と共に、真佐井を青いバトルスーツが包み込む。真佐井が、雷弾 尊(らいだん みこと)へと変身したのだ。
「雷弾、見参!」
ポーズを決めた雷弾の身体に、変身時の名残である小さな稲妻が走る。
蔦怪人が雷弾の存在を確認したのだろう。首をひねると、その姿からは想像つかない速さで雷弾に飛びかかってきた。
しかし、常人では避け得ないその素早さも、雷弾には通じない。蔦怪人を軽くいなすと同時に、その側頭部へ右フックをたたき込み、その勢いで回し蹴りを放った。雷弾の蹴りは確実に蔦怪人の後頭部を捉えた。
蹴りを受け倒れる蔦怪人。
だが、雷弾は油断無く構えを解く事は無かった。案の定、蔦怪人は何事もなかったかの様に起きあがる。蔦怪人から伝わってきた突きや蹴りの感触が人のそれではなく、丸太を相手にしている様な感じだったからだ。
「サンダーチャージ!」
蔦怪人が起きあがると同時に、雷弾が両拳を胸の前で付き合わせる。見る見るうちに両の拳に電光が走り始め、青白く光り出す。
振り返り襲い来る蔦怪人の両手を払いのけると、雷弾はその懐に入り込み、蔦怪人の胸に両こぶしを押し当てた。
「サンダークラッシュ!」
バチュッ!
音と共に、雷弾の両拳に蓄えられた電力が一気に解放される。一瞬にして、蔦怪人は動きを止め、その全身から白い湯気が立ち上り始めた。
素早く雷弾が身を引くのと、その湯気が炎に変わるのとはほぼ同時だった。蔦怪人は声もなく炎に包まれたまま、立ちつくしている。
ふっと力を抜く雷弾に背後から声が掛かる。
「お見事!これが噂に聞く雷弾拳なんですね~」
見ればクリスタルパレスのがれきの山の上に、一人の男が立っていた。言葉からも態度からも殺気は感じない。それよりも、いつからそこに立っていたのだろうか。声を掛けられるまで気配を感じなかったのだ。相当の手練れだろう。
「何者だ?」
雷弾の詰問にその男はにっこり微笑むと、がれきの山を一息で飛び降り、雷弾に握手を求めた。
「いや~、失礼。私は唐出本太郎(からで ほんたろう)。真佐井さんと同じくHAMAZOの一員です」
2007年07月16日
一 胎動
木々の切れ目から、朝日で白く光る湖面が眼下に広がっているのが見える。まだ暗い真冬には、肌を切り裂く湖から吹き上がって来る風も、今の季節は軽く汗ばんだ体に心地よい。
真佐井 京(まさい きょう)は、吐く息を整えるように大きく息を吸い込むと、軽く目を閉じた。瞼の裏に、通り過ぎてきた数々の死闘が浮かび、消えていく。それらの光景を振り払うように軽く頭を振ると、吸い込んだ息を細く長く吐き出した。
再び目を開けると、目の前には、先程と変わらぬ平和な光景があった。
全ては終わったのだ。
真佐井はそう自分に言い聞かせる様に、傍らで真佐井を見上げている愛犬の頭を優しく撫でた。
さわやかな朝の光景であったが、真佐井には妙な胸騒ぎがしてならなかった。
朝起きてからというもの、首筋がピリピリと、空気中に溶けている微かな緊張の元を感知しているのだ。疲れが溜まっているのかも知れぬと思い、軽く汗を流したが、その気配は消えない。それどころか、より一層強くなっている気がした。
真佐井は四十半ばに差し掛かり、体力の衰えを感じてきていた。それ故の毎朝のトレーニングなのだが、それさえも、今日は億劫に感じていた。
そろそろ現役は厳しいのか・・・。
まだまだ若手には負けない自信はあった。しかし、こうして体力の衰えを実感すると、引退を考える時期なのかも知れないとも思う。
先のシャドウとの闘いの傷も、まだ完全には癒えていない。昔なら既に完治していて良い頃だった。回復力も落ちてきていた。
その時だった。音もなく、愛犬のそばにしゃがんでいる真佐井の背後へと、飛びかかる者があった。
しかし、その襲撃者の攻撃は空を切った。完全に真佐井の背後を捉えていたのだが、攻撃に移る瞬間の気配を真佐井に読まれていたのだ。
襲撃者は、自分の攻撃が空を切ると見るや、そのままの勢いで地面を二転三転し、素早く構えを取って起きあがる。が、目の前にいるはずの真佐井の姿はそこには無かった。
はっと視線を動かす間もなく、襲撃者を横から真佐井の蹴りが襲う。
襲撃者の意図を察知した真佐井は、素早く側面へと回り込んでいたのだ。
襲撃者は反射的に上げた腕でかろうじて直撃を免れたが、大きくバランスを崩した。続く真佐井の二撃目を避ける術は無い。
襲撃者は思わず目を瞑ったが、二撃目は来なかった。
目を開けると、腕組みした真佐井が上から見下ろしている。
その襲撃者はまだ少年だった。そうと見た真佐井が攻撃の手を弛めたのだろうか。
「甘いな」
にっと白い歯を見せて、真佐井が笑いながらそう言った。
ワンと、真佐井の横では、愛犬もその通りとばかりにしっぽを振っている。
「上手く隙をついたと思ったのにな~」
「でも、狙いは悪く無かったぞ」
そう言って残念そうに唇を尖らせる少年を、真佐井が逞しい腕を差し出して引き起こす。
「まだまだ父さんには適わないか。でも次の時には、一本取るからね!」
体の土を払いながら、少年が真佐井の腹を軽く拳で叩いた。
真佐井はその少年の頭をくしゃくしゃと撫でながら
「そう簡単には取らせないさ」
と言って、優しく微笑むのだった。
そこから徒歩僅か数分の所にある、浜松市フラワーパーク。30万㎡の敷地には、3,000種、10万本もの植物が植えられている。隣接する動物園と共に、市民には馴染みの場所だった。
その中に建てられている大温室、通称クリスタルパレスの中で、それは始まろうとしていた。
開園までにはまだ数時間が必要である。当然、職員もまだ出勤前だ。それにも関わらず、クリスタルパレスの中に人影があった。よくあるスウェットに身を包み、しゃがみ込んでなにやら作業をしている。
「これで最後だ・・・よし」
そう言って立ち上がると、作業の出来映えに満足したのだろう、深く被った帽子の下、口元がにやりと笑みの形を作る。
ここで何をしていたのだろうか。
その人物は辺りを軽く見回し、遺留品が無い事を確認すると、何事もなかったかのように、園を後にした。不思議な事に、セキュリティは一つも反応しなかった。
真佐井 京(まさい きょう)は、吐く息を整えるように大きく息を吸い込むと、軽く目を閉じた。瞼の裏に、通り過ぎてきた数々の死闘が浮かび、消えていく。それらの光景を振り払うように軽く頭を振ると、吸い込んだ息を細く長く吐き出した。
再び目を開けると、目の前には、先程と変わらぬ平和な光景があった。
全ては終わったのだ。
真佐井はそう自分に言い聞かせる様に、傍らで真佐井を見上げている愛犬の頭を優しく撫でた。
さわやかな朝の光景であったが、真佐井には妙な胸騒ぎがしてならなかった。
朝起きてからというもの、首筋がピリピリと、空気中に溶けている微かな緊張の元を感知しているのだ。疲れが溜まっているのかも知れぬと思い、軽く汗を流したが、その気配は消えない。それどころか、より一層強くなっている気がした。
真佐井は四十半ばに差し掛かり、体力の衰えを感じてきていた。それ故の毎朝のトレーニングなのだが、それさえも、今日は億劫に感じていた。
そろそろ現役は厳しいのか・・・。
まだまだ若手には負けない自信はあった。しかし、こうして体力の衰えを実感すると、引退を考える時期なのかも知れないとも思う。
先のシャドウとの闘いの傷も、まだ完全には癒えていない。昔なら既に完治していて良い頃だった。回復力も落ちてきていた。
その時だった。音もなく、愛犬のそばにしゃがんでいる真佐井の背後へと、飛びかかる者があった。
しかし、その襲撃者の攻撃は空を切った。完全に真佐井の背後を捉えていたのだが、攻撃に移る瞬間の気配を真佐井に読まれていたのだ。
襲撃者は、自分の攻撃が空を切ると見るや、そのままの勢いで地面を二転三転し、素早く構えを取って起きあがる。が、目の前にいるはずの真佐井の姿はそこには無かった。
はっと視線を動かす間もなく、襲撃者を横から真佐井の蹴りが襲う。
襲撃者の意図を察知した真佐井は、素早く側面へと回り込んでいたのだ。
襲撃者は反射的に上げた腕でかろうじて直撃を免れたが、大きくバランスを崩した。続く真佐井の二撃目を避ける術は無い。
襲撃者は思わず目を瞑ったが、二撃目は来なかった。
目を開けると、腕組みした真佐井が上から見下ろしている。
その襲撃者はまだ少年だった。そうと見た真佐井が攻撃の手を弛めたのだろうか。
「甘いな」
にっと白い歯を見せて、真佐井が笑いながらそう言った。
ワンと、真佐井の横では、愛犬もその通りとばかりにしっぽを振っている。
「上手く隙をついたと思ったのにな~」
「でも、狙いは悪く無かったぞ」
そう言って残念そうに唇を尖らせる少年を、真佐井が逞しい腕を差し出して引き起こす。
「まだまだ父さんには適わないか。でも次の時には、一本取るからね!」
体の土を払いながら、少年が真佐井の腹を軽く拳で叩いた。
真佐井はその少年の頭をくしゃくしゃと撫でながら
「そう簡単には取らせないさ」
と言って、優しく微笑むのだった。
そこから徒歩僅か数分の所にある、浜松市フラワーパーク。30万㎡の敷地には、3,000種、10万本もの植物が植えられている。隣接する動物園と共に、市民には馴染みの場所だった。
その中に建てられている大温室、通称クリスタルパレスの中で、それは始まろうとしていた。
開園までにはまだ数時間が必要である。当然、職員もまだ出勤前だ。それにも関わらず、クリスタルパレスの中に人影があった。よくあるスウェットに身を包み、しゃがみ込んでなにやら作業をしている。
「これで最後だ・・・よし」
そう言って立ち上がると、作業の出来映えに満足したのだろう、深く被った帽子の下、口元がにやりと笑みの形を作る。
ここで何をしていたのだろうか。
その人物は辺りを軽く見回し、遺留品が無い事を確認すると、何事もなかったかのように、園を後にした。不思議な事に、セキュリティは一つも反応しなかった。

