2007年10月13日
お先に
理由もなく叫びがこみ上げる
体の芯から湧き上がる何か
怒り、笑い、喜び、悲しむ
食べ、奪い、犯し、捨てる
あれもこれも欲しくて
何もかもがいらなくて
それでも時間は過ぎていく
今でも世界は回ってる
昨日抱いた夢も、明日手にする欲望も
流れる雲に
瞬く星に
地の果てに辿り着いた時
屍の山にオレは立っているのか
それとも誰かの足下にひれ伏しているのか
「お先に」
そう言って出て行った奴がいた
目の前で血を流しながら
音が消えた世界で、笑い顔だけが瞼に残っている
震えが来る程に体に満ちれば
この何かが体を満たせば
オレも「先」へ行けるのだろうか
体の芯から湧き上がる何か
怒り、笑い、喜び、悲しむ
食べ、奪い、犯し、捨てる
あれもこれも欲しくて
何もかもがいらなくて
それでも時間は過ぎていく
今でも世界は回ってる
昨日抱いた夢も、明日手にする欲望も
流れる雲に
瞬く星に
地の果てに辿り着いた時
屍の山にオレは立っているのか
それとも誰かの足下にひれ伏しているのか
「お先に」
そう言って出て行った奴がいた
目の前で血を流しながら
音が消えた世界で、笑い顔だけが瞼に残っている
震えが来る程に体に満ちれば
この何かが体を満たせば
オレも「先」へ行けるのだろうか
2007年09月29日
三 幕間
「この春、名古屋から移動になりました。よろしくお願いします」
そう言って唐出は左手にしたBAT腕時計を真佐井に見せた。それはHAMAZOの武道アクションチームに属する者だけが身につけている腕時計だ。真佐井の左手にある物と一緒だった。
「では、君があの・・・」
「ええ、名古屋のポンタロスです」
真佐井の言葉を唐出が引き継ぎながら、右手を差し出した。真佐井がその手をぐっと握り返す。
「こちらこそ。この様な時にポンタロスが来てくれたとは心強い」
蔦怪人を倒したものの、正直なところ、真佐井はまだ本調子では無かった。春先のシャドウとの死闘で負った傷は既に癒えていたが、体の芯にはまだ重い感じが残ったままだったのだ。それがなければ、左肩に蔦怪人の一撃を食らう事も無かっただろう。
巨大な妖花の出現に加えて蔦怪人の出現。
今また傷を負った真佐井には、ポンタロスの存在が頼もしかった。
「しかし、どうしてここへ?」
「HAMAZOの一員として、特にBATとしては見過ごす訳にいきませんからね」
唐出が脇にそびえる妖花を見上げる。
五月晴れの空に誇らしげに屹立する妖花。その濃い赤と緑は南国の植物を連想させる。しかし既存の植物のどれとも違っている事は確かだろう。分析班の解析を待たずともそれだけは確信できた。
「丁度真佐井さんが蔦怪人と交戦中だったので、見物していました。いざとなれば助けに入るつもりでしたが、やはり不要でしたね」
真佐井は軽く頷くだけに留まった。唐出の目には余裕があるように映ったのだろうが、身体の切れが悪い事は紛れもない事実だったのだ。必殺技を出さねばならない程に。
やはり一線で働くにはそろそろ限界なのだろうか。
まだまだやれる!との思いが強いだけに、真佐井は自分の身体が思う様に動かない事が歯がゆかった。
浜松市内某所。雑居ビルの地下にあるHAMAZO本部。
真佐井は約二ヶ月ぶりに訪れた。春先のシャドウとの死闘で負った怪我を癒す為、三月後半から休暇を取っていたのだ。四月の異動で本部の人間も入れ替わりがあったようだ。ちらほらと見知らぬ顔がいる。
破壊されたフラワーパークで蔦怪人を倒した後に現れた唐出と共に、一通り見回ってから本部へ顔を出したのだ。今朝の出来事の報告と、今後の対応を相談する為である。結局あの蔦怪人意外にはこれといった変化も見られず、後の処理は、駆けつけた近くのHAMAZO隊員に任せてきたのだ。
現場からの真佐井の報告で、HAMAZOには既に蔦怪人対策本部が設置されていた。
「もう怪我は良いのかね?」
一通りの報告を終えた後、対策本部長を兼任するHAMAZO総務部長の高橋が話しかけてきた。高橋は今は一線を退いているものの、その昔BAT隊長として真佐井と共に戦った事もある。還暦間近の高橋は、真佐井にとって年の離れた兄のような存在だった。
「おかげさまで。それより、あの巨大な妖花と蔦怪人の関係が気になります」
「いったい・・・。ああ、持って来てくれたサンプルは先程分析班に回しておいた。今日中には何らかの答えがでるだろうが、それにしても、あれは・・・」
あれだけの巨大植物の出現は過去に例がなかった。高橋が渋面を作る。
「燃えてしまったのが残念ですが、蔦怪人も気になります。植物が人の形態をとったのか、それとも人が・・・」
真佐井が最も危惧している点である。もし人があのような怪人に変じたのだとすれば、その原因を取り除かない限り犠牲者が出る事になる。何よりも戦う相手としては、植物の方が気が楽だった。
もし人が変じたのであれば、救えるものなら救いたい。それが真佐井の本心であった。
「こいつはいったいなんだ?」
フラワーパークではHAMAZOの分析班員が妖花の調査に首をひねっていた。巨大な妖花の根本近くから、棘に覆われた楕円形の固まりが出てきたのだ。その数十三。大きさは棘を含めると、直径で三メートルを超える。
幾重にも絡み合った太い根をかき分けていく内に、その内部に出来た空洞から見つかったのだ。この植物の実の様にも見えるが、真ん中に線が縦に走っており、そこから二つに割れそうである。巨大なハエトリソウに見えなくもない。
「とりあえず写真とサンプルを取っておくか」
今日の朝、爆発的に成長しフラワーパークを破壊して以来何の変化も見せない妖花。しかも真佐井が蔦怪人を倒し、他には特に目立つものはなかったとの報告を受けている。そこに、油断が無かった言えば嘘になるだろう。
カメラのフラッシュに反応したのだろうか。楕円形をしたその物体が突如二つに割れ、そこから触手の様なものが延びたかと思うと、瞬く間にその場にいた分析員達を絡め取り、その中に引きずり込んでしまったのだ。
食人植物。
それがこの楕円形の物体の正体であった。
しかし、本当にフラッシュに反応したのだろうか。もし光に反応するのであれば、覆っていた根を取り除いた今、日の光が至る所に降り注いでいる。また、音や体温に反応するのであれば、分析員達が近づいた時に反応するはずである。
その謎を解く鍵は、その場からそっと立ち去った人影が知っているに違いない。その手に笛の様な物を持った人物が。
そう言って唐出は左手にしたBAT腕時計を真佐井に見せた。それはHAMAZOの武道アクションチームに属する者だけが身につけている腕時計だ。真佐井の左手にある物と一緒だった。
「では、君があの・・・」
「ええ、名古屋のポンタロスです」
真佐井の言葉を唐出が引き継ぎながら、右手を差し出した。真佐井がその手をぐっと握り返す。
「こちらこそ。この様な時にポンタロスが来てくれたとは心強い」
蔦怪人を倒したものの、正直なところ、真佐井はまだ本調子では無かった。春先のシャドウとの死闘で負った傷は既に癒えていたが、体の芯にはまだ重い感じが残ったままだったのだ。それがなければ、左肩に蔦怪人の一撃を食らう事も無かっただろう。
巨大な妖花の出現に加えて蔦怪人の出現。
今また傷を負った真佐井には、ポンタロスの存在が頼もしかった。
「しかし、どうしてここへ?」
「HAMAZOの一員として、特にBATとしては見過ごす訳にいきませんからね」
唐出が脇にそびえる妖花を見上げる。
五月晴れの空に誇らしげに屹立する妖花。その濃い赤と緑は南国の植物を連想させる。しかし既存の植物のどれとも違っている事は確かだろう。分析班の解析を待たずともそれだけは確信できた。
「丁度真佐井さんが蔦怪人と交戦中だったので、見物していました。いざとなれば助けに入るつもりでしたが、やはり不要でしたね」
真佐井は軽く頷くだけに留まった。唐出の目には余裕があるように映ったのだろうが、身体の切れが悪い事は紛れもない事実だったのだ。必殺技を出さねばならない程に。
やはり一線で働くにはそろそろ限界なのだろうか。
まだまだやれる!との思いが強いだけに、真佐井は自分の身体が思う様に動かない事が歯がゆかった。
浜松市内某所。雑居ビルの地下にあるHAMAZO本部。
真佐井は約二ヶ月ぶりに訪れた。春先のシャドウとの死闘で負った怪我を癒す為、三月後半から休暇を取っていたのだ。四月の異動で本部の人間も入れ替わりがあったようだ。ちらほらと見知らぬ顔がいる。
破壊されたフラワーパークで蔦怪人を倒した後に現れた唐出と共に、一通り見回ってから本部へ顔を出したのだ。今朝の出来事の報告と、今後の対応を相談する為である。結局あの蔦怪人意外にはこれといった変化も見られず、後の処理は、駆けつけた近くのHAMAZO隊員に任せてきたのだ。
現場からの真佐井の報告で、HAMAZOには既に蔦怪人対策本部が設置されていた。
「もう怪我は良いのかね?」
一通りの報告を終えた後、対策本部長を兼任するHAMAZO総務部長の高橋が話しかけてきた。高橋は今は一線を退いているものの、その昔BAT隊長として真佐井と共に戦った事もある。還暦間近の高橋は、真佐井にとって年の離れた兄のような存在だった。
「おかげさまで。それより、あの巨大な妖花と蔦怪人の関係が気になります」
「いったい・・・。ああ、持って来てくれたサンプルは先程分析班に回しておいた。今日中には何らかの答えがでるだろうが、それにしても、あれは・・・」
あれだけの巨大植物の出現は過去に例がなかった。高橋が渋面を作る。
「燃えてしまったのが残念ですが、蔦怪人も気になります。植物が人の形態をとったのか、それとも人が・・・」
真佐井が最も危惧している点である。もし人があのような怪人に変じたのだとすれば、その原因を取り除かない限り犠牲者が出る事になる。何よりも戦う相手としては、植物の方が気が楽だった。
もし人が変じたのであれば、救えるものなら救いたい。それが真佐井の本心であった。
「こいつはいったいなんだ?」
フラワーパークではHAMAZOの分析班員が妖花の調査に首をひねっていた。巨大な妖花の根本近くから、棘に覆われた楕円形の固まりが出てきたのだ。その数十三。大きさは棘を含めると、直径で三メートルを超える。
幾重にも絡み合った太い根をかき分けていく内に、その内部に出来た空洞から見つかったのだ。この植物の実の様にも見えるが、真ん中に線が縦に走っており、そこから二つに割れそうである。巨大なハエトリソウに見えなくもない。
「とりあえず写真とサンプルを取っておくか」
今日の朝、爆発的に成長しフラワーパークを破壊して以来何の変化も見せない妖花。しかも真佐井が蔦怪人を倒し、他には特に目立つものはなかったとの報告を受けている。そこに、油断が無かった言えば嘘になるだろう。
カメラのフラッシュに反応したのだろうか。楕円形をしたその物体が突如二つに割れ、そこから触手の様なものが延びたかと思うと、瞬く間にその場にいた分析員達を絡め取り、その中に引きずり込んでしまったのだ。
食人植物。
それがこの楕円形の物体の正体であった。
しかし、本当にフラッシュに反応したのだろうか。もし光に反応するのであれば、覆っていた根を取り除いた今、日の光が至る所に降り注いでいる。また、音や体温に反応するのであれば、分析員達が近づいた時に反応するはずである。
その謎を解く鍵は、その場からそっと立ち去った人影が知っているに違いない。その手に笛の様な物を持った人物が。
2007年09月07日
二 登場
五月連休に特有の熱気の名残も消え、街はいつもの静寂を取り戻していた。
清々しい朝だった。昨日までの雨が上がり、素晴らしい晴天が期待できるだろう。そんな朝だった。
真佐井はいつもの早朝トレーニングをこなし、早くも初夏の雰囲気を感じさせる様な風に一息ついている。日毎に強くなる日差しに、木々はその葉を濃く茂らせ、あちこちで鳥達が囀り合っていた。
それが現れたのは、そんな時だった。
それは今にして思えば、あの生物の産声だったのだろう。大地を揺るがす振動と破壊音に続いて、大気を振るわせる奇怪な鳴き声が響き渡った。
その鳴き声は獣の物でも、鳥の物でもなかった。今までに聞いた事がない奇怪な鳴き声。一番近いと思われるのは、昔の特撮番組で聞いた怪獣の声だった。
真佐井はその鳴き声の中に、喜び、苦しみ、悲しみが入り交じっているように感じた。
「何だあれは?・・・」
素早く視界が開けている場所へ出た真佐井は、我が目を疑った。
真佐井の視界に映る背景一面に、抜けるような青空が広がっている。そこに、明らかに場違いな物が突如として出現していた。
それは、真っ赤な花弁を天に向かって誇らしげに広げた花だった。真佐井にはそれを花としか形容できなかった。
その高さは、数十メートルはあるだろう。あまりにも巨大すぎて、距離感が上手く掴めないが、その花がそびえ立っているのは、フラワーパークの辺りだろう。
青い空を突き刺すように、伸び広がった赤い花弁。それを無数に絡み合った毒々しい程の緑の蔦が支えている。蔦に葉は無く、代わりに遠目でも分かる程の巨大な棘が生えている。冗談のような光景だった。
手足が我知らずの内に震え、早くなった心臓の動きに、こめかみがガンガンと脈打っている。真佐井の胸の内に去来した感情は、畏怖なのだろうか。
ふと見れば、傍らに座る愛犬が珍しくしっぽを股の間に入れている。普段は豪気な愛犬もまた、唯ならぬものを感じているらしい。
急ブレーキに鳴く複数のタイヤ音に続いて、激しい衝撃音が聞こえてきた。
真佐井はその音にはっと我に返る。しばしの間、あまりにも異様な光景に我を忘れていたのだ。聞こえて来た音の感じから、事故現場はそう離れてはいない。あの異様な花の出現に驚いたドライバーが事故を起こしたに違いなかった。
「行くぞ」
愛犬にそう声を掛け、真佐井は事故現場に向け駆けだした。まずは出来る事からやる。それが長い闘いの中で真佐井が学んできた事だった。
辺りの大気には異様な緊張が満ちていた。先程までのさわやかな雰囲気など、もう何処にも無かった。
まだ、これからだ。これはほんの始まりに過ぎない。
真佐井の感がそう告げていた。
アスファルトを突き破って見えているのは根だろうか。それは、木の幹を思わせる堅い樹皮に覆われていた。長い一匹の蛇が暴れ回っている、その光景は、そんな印象を抱かせた。
フラワーパークの駐車場はあちこちでひび割れ、そこから堅い樹皮に覆われた根のような物が覗いている。舘山寺街道も所々波打ち、車がまともに走れる状態では無かった。
通勤途中なのだろう。ネクタイを締めたドライバーが、車を止め携帯電話で何かを話している、あるいは道路のうねりを器用に避けて通過していく。時刻は午前七時にまだなっていない。まだ通行車両は多くなかった為だろう。ここに来るまで、事故車両は先程の一台だけだった。
真佐井はバイクを安全な場所に停めると、一人フラワーパークの中へと足を進めた。
入り口の扉は直下型地震を受けたかの様にぐにゃりとひしゃげ、警報がピーピーと力なく鳴っている。真佐井はその隙間に身体を滑り込ませるようにして中へと入った。もちろん、違法な侵入である。しかし、今はそんな事を気にしている場合ではなかった。
真佐井が外の惨状から想像していたよりも、園内の被害は少なかった。
とは言え、噴水のある池は底が割れ、先程の根が数本覗いている。何処かで水道管が破れたのだろう、勢いよく水しぶきが上がっている。クリスタルパレスへと続く道には何の変化も見られなかったが、肝心のクリスタルパレスは、見事なまでに破壊されていた。
天に向かってそびえ立つ緑の柱。そのてっぺんに広がる真っ赤な花。真佐井が見たアレである。
それがクリスタルパレスのど真ん中から生えているのだ。その直径は数メートルはあるだろう。屋根は吹き飛び、辺りにその破片が散乱している。
真佐井の他に動くものの気配は無いが、神経を研ぎ澄ませながら慎重に歩を進める。途中、自動販売機から溢れ出た缶ジュースの山が音を立てて崩れ、一瞬緊張が走ったが、それ以外には何事もなくクリスタルパレスに辿り着いた。
「でかいな・・・」
クリスタルパレスの入り口で、改めて見上げた妖花のあまりの大きさに、思わず口をついて出る。高層ビル並みの高さがありそうだった。
いったい何がどうなっているのか。おそらくは植物の類だろうが、大きさといい、現れ方といい、通常の生物の範疇ではない。どちらにしろ、本部の分析班の手を借りる以外になさそうだと、こちらは心の中で呟いた。
もしやこれもシャドウの?
真佐井の脳裏をある予感が過ぎった。が、すぐに打ち消す。シャドウはあの時、確かにこの手で壊滅させたはずだ、と。
だいいち、ダークマターは本部の機密庫に厳重に保管されているのだ。シャドウのはずがなかった。
その時だった。
真佐井は自分の思考に暫し注意力を奪われていたのだろう。その不意打ちを避けきる事が出来なかった。
大きく横へ飛び込むように避けたが、その一撃は真佐井の左肩を捉えていた。
「!」
声にならない叫びが出る。真佐井の肩がざっくりと裂け、血が飛び散る。ほんの一瞬でも反応が遅れていたなら、首を千切られていたかも知れなかった。
真佐井は肩を押さえながら、壊れた自動販売機を背に体制を整えた。
その目に映ったのは、奇怪な人物だった。皮膚はほとんどが緑に変色し、かろうじて顔の一部だけが、元通りの肌色を保っている。両腕には葉の生えた蔦が無数に絡みつき、配管がむき出しになっているロボットの腕を思わせた。指は硬い樹木状の爪に変化している。これが真佐井の左肩を切り裂いたのだ。
今、蔦怪人は膝をついた真佐井を見失ったかのように、顔をゆっくりと左右に動かしている。目を見ると虚ろで視点が定まっていない。もしかすると視力が無いのかも知れない。
左腕が多少痺れるが、指も動く。出血を考えると早めにけりをつける必要がありそうだった。
真佐井は腕時計のボタンを押し、チャージ量を確認した。蔦怪人を倒すには十分な量だ。万が一不足しても、ここには電源がある。
「電装!」
真佐井はそう叫ぶと、クロスさせた両腕を額の前に翳した。
一瞬の目映い光と共に、真佐井を青いバトルスーツが包み込む。真佐井が、雷弾 尊(らいだん みこと)へと変身したのだ。
「雷弾、見参!」
ポーズを決めた雷弾の身体に、変身時の名残である小さな稲妻が走る。
蔦怪人が雷弾の存在を確認したのだろう。首をひねると、その姿からは想像つかない速さで雷弾に飛びかかってきた。
しかし、常人では避け得ないその素早さも、雷弾には通じない。蔦怪人を軽くいなすと同時に、その側頭部へ右フックをたたき込み、その勢いで回し蹴りを放った。雷弾の蹴りは確実に蔦怪人の後頭部を捉えた。
蹴りを受け倒れる蔦怪人。
だが、雷弾は油断無く構えを解く事は無かった。案の定、蔦怪人は何事もなかったかの様に起きあがる。蔦怪人から伝わってきた突きや蹴りの感触が人のそれではなく、丸太を相手にしている様な感じだったからだ。
「サンダーチャージ!」
蔦怪人が起きあがると同時に、雷弾が両拳を胸の前で付き合わせる。見る見るうちに両の拳に電光が走り始め、青白く光り出す。
振り返り襲い来る蔦怪人の両手を払いのけると、雷弾はその懐に入り込み、蔦怪人の胸に両こぶしを押し当てた。
「サンダークラッシュ!」
バチュッ!
音と共に、雷弾の両拳に蓄えられた電力が一気に解放される。一瞬にして、蔦怪人は動きを止め、その全身から白い湯気が立ち上り始めた。
素早く雷弾が身を引くのと、その湯気が炎に変わるのとはほぼ同時だった。蔦怪人は声もなく炎に包まれたまま、立ちつくしている。
ふっと力を抜く雷弾に背後から声が掛かる。
「お見事!これが噂に聞く雷弾拳なんですね~」
見ればクリスタルパレスのがれきの山の上に、一人の男が立っていた。言葉からも態度からも殺気は感じない。それよりも、いつからそこに立っていたのだろうか。声を掛けられるまで気配を感じなかったのだ。相当の手練れだろう。
「何者だ?」
雷弾の詰問にその男はにっこり微笑むと、がれきの山を一息で飛び降り、雷弾に握手を求めた。
「いや~、失礼。私は唐出本太郎(からで ほんたろう)。真佐井さんと同じくHAMAZOの一員です」
清々しい朝だった。昨日までの雨が上がり、素晴らしい晴天が期待できるだろう。そんな朝だった。
真佐井はいつもの早朝トレーニングをこなし、早くも初夏の雰囲気を感じさせる様な風に一息ついている。日毎に強くなる日差しに、木々はその葉を濃く茂らせ、あちこちで鳥達が囀り合っていた。
それが現れたのは、そんな時だった。
それは今にして思えば、あの生物の産声だったのだろう。大地を揺るがす振動と破壊音に続いて、大気を振るわせる奇怪な鳴き声が響き渡った。
その鳴き声は獣の物でも、鳥の物でもなかった。今までに聞いた事がない奇怪な鳴き声。一番近いと思われるのは、昔の特撮番組で聞いた怪獣の声だった。
真佐井はその鳴き声の中に、喜び、苦しみ、悲しみが入り交じっているように感じた。
「何だあれは?・・・」
素早く視界が開けている場所へ出た真佐井は、我が目を疑った。
真佐井の視界に映る背景一面に、抜けるような青空が広がっている。そこに、明らかに場違いな物が突如として出現していた。
それは、真っ赤な花弁を天に向かって誇らしげに広げた花だった。真佐井にはそれを花としか形容できなかった。
その高さは、数十メートルはあるだろう。あまりにも巨大すぎて、距離感が上手く掴めないが、その花がそびえ立っているのは、フラワーパークの辺りだろう。
青い空を突き刺すように、伸び広がった赤い花弁。それを無数に絡み合った毒々しい程の緑の蔦が支えている。蔦に葉は無く、代わりに遠目でも分かる程の巨大な棘が生えている。冗談のような光景だった。
手足が我知らずの内に震え、早くなった心臓の動きに、こめかみがガンガンと脈打っている。真佐井の胸の内に去来した感情は、畏怖なのだろうか。
ふと見れば、傍らに座る愛犬が珍しくしっぽを股の間に入れている。普段は豪気な愛犬もまた、唯ならぬものを感じているらしい。
急ブレーキに鳴く複数のタイヤ音に続いて、激しい衝撃音が聞こえてきた。
真佐井はその音にはっと我に返る。しばしの間、あまりにも異様な光景に我を忘れていたのだ。聞こえて来た音の感じから、事故現場はそう離れてはいない。あの異様な花の出現に驚いたドライバーが事故を起こしたに違いなかった。
「行くぞ」
愛犬にそう声を掛け、真佐井は事故現場に向け駆けだした。まずは出来る事からやる。それが長い闘いの中で真佐井が学んできた事だった。
辺りの大気には異様な緊張が満ちていた。先程までのさわやかな雰囲気など、もう何処にも無かった。
まだ、これからだ。これはほんの始まりに過ぎない。
真佐井の感がそう告げていた。
アスファルトを突き破って見えているのは根だろうか。それは、木の幹を思わせる堅い樹皮に覆われていた。長い一匹の蛇が暴れ回っている、その光景は、そんな印象を抱かせた。
フラワーパークの駐車場はあちこちでひび割れ、そこから堅い樹皮に覆われた根のような物が覗いている。舘山寺街道も所々波打ち、車がまともに走れる状態では無かった。
通勤途中なのだろう。ネクタイを締めたドライバーが、車を止め携帯電話で何かを話している、あるいは道路のうねりを器用に避けて通過していく。時刻は午前七時にまだなっていない。まだ通行車両は多くなかった為だろう。ここに来るまで、事故車両は先程の一台だけだった。
真佐井はバイクを安全な場所に停めると、一人フラワーパークの中へと足を進めた。
入り口の扉は直下型地震を受けたかの様にぐにゃりとひしゃげ、警報がピーピーと力なく鳴っている。真佐井はその隙間に身体を滑り込ませるようにして中へと入った。もちろん、違法な侵入である。しかし、今はそんな事を気にしている場合ではなかった。
真佐井が外の惨状から想像していたよりも、園内の被害は少なかった。
とは言え、噴水のある池は底が割れ、先程の根が数本覗いている。何処かで水道管が破れたのだろう、勢いよく水しぶきが上がっている。クリスタルパレスへと続く道には何の変化も見られなかったが、肝心のクリスタルパレスは、見事なまでに破壊されていた。
天に向かってそびえ立つ緑の柱。そのてっぺんに広がる真っ赤な花。真佐井が見たアレである。
それがクリスタルパレスのど真ん中から生えているのだ。その直径は数メートルはあるだろう。屋根は吹き飛び、辺りにその破片が散乱している。
真佐井の他に動くものの気配は無いが、神経を研ぎ澄ませながら慎重に歩を進める。途中、自動販売機から溢れ出た缶ジュースの山が音を立てて崩れ、一瞬緊張が走ったが、それ以外には何事もなくクリスタルパレスに辿り着いた。
「でかいな・・・」
クリスタルパレスの入り口で、改めて見上げた妖花のあまりの大きさに、思わず口をついて出る。高層ビル並みの高さがありそうだった。
いったい何がどうなっているのか。おそらくは植物の類だろうが、大きさといい、現れ方といい、通常の生物の範疇ではない。どちらにしろ、本部の分析班の手を借りる以外になさそうだと、こちらは心の中で呟いた。
もしやこれもシャドウの?
真佐井の脳裏をある予感が過ぎった。が、すぐに打ち消す。シャドウはあの時、確かにこの手で壊滅させたはずだ、と。
だいいち、ダークマターは本部の機密庫に厳重に保管されているのだ。シャドウのはずがなかった。
その時だった。
真佐井は自分の思考に暫し注意力を奪われていたのだろう。その不意打ちを避けきる事が出来なかった。
大きく横へ飛び込むように避けたが、その一撃は真佐井の左肩を捉えていた。
「!」
声にならない叫びが出る。真佐井の肩がざっくりと裂け、血が飛び散る。ほんの一瞬でも反応が遅れていたなら、首を千切られていたかも知れなかった。
真佐井は肩を押さえながら、壊れた自動販売機を背に体制を整えた。
その目に映ったのは、奇怪な人物だった。皮膚はほとんどが緑に変色し、かろうじて顔の一部だけが、元通りの肌色を保っている。両腕には葉の生えた蔦が無数に絡みつき、配管がむき出しになっているロボットの腕を思わせた。指は硬い樹木状の爪に変化している。これが真佐井の左肩を切り裂いたのだ。
今、蔦怪人は膝をついた真佐井を見失ったかのように、顔をゆっくりと左右に動かしている。目を見ると虚ろで視点が定まっていない。もしかすると視力が無いのかも知れない。
左腕が多少痺れるが、指も動く。出血を考えると早めにけりをつける必要がありそうだった。
真佐井は腕時計のボタンを押し、チャージ量を確認した。蔦怪人を倒すには十分な量だ。万が一不足しても、ここには電源がある。
「電装!」
真佐井はそう叫ぶと、クロスさせた両腕を額の前に翳した。
一瞬の目映い光と共に、真佐井を青いバトルスーツが包み込む。真佐井が、雷弾 尊(らいだん みこと)へと変身したのだ。
「雷弾、見参!」
ポーズを決めた雷弾の身体に、変身時の名残である小さな稲妻が走る。
蔦怪人が雷弾の存在を確認したのだろう。首をひねると、その姿からは想像つかない速さで雷弾に飛びかかってきた。
しかし、常人では避け得ないその素早さも、雷弾には通じない。蔦怪人を軽くいなすと同時に、その側頭部へ右フックをたたき込み、その勢いで回し蹴りを放った。雷弾の蹴りは確実に蔦怪人の後頭部を捉えた。
蹴りを受け倒れる蔦怪人。
だが、雷弾は油断無く構えを解く事は無かった。案の定、蔦怪人は何事もなかったかの様に起きあがる。蔦怪人から伝わってきた突きや蹴りの感触が人のそれではなく、丸太を相手にしている様な感じだったからだ。
「サンダーチャージ!」
蔦怪人が起きあがると同時に、雷弾が両拳を胸の前で付き合わせる。見る見るうちに両の拳に電光が走り始め、青白く光り出す。
振り返り襲い来る蔦怪人の両手を払いのけると、雷弾はその懐に入り込み、蔦怪人の胸に両こぶしを押し当てた。
「サンダークラッシュ!」
バチュッ!
音と共に、雷弾の両拳に蓄えられた電力が一気に解放される。一瞬にして、蔦怪人は動きを止め、その全身から白い湯気が立ち上り始めた。
素早く雷弾が身を引くのと、その湯気が炎に変わるのとはほぼ同時だった。蔦怪人は声もなく炎に包まれたまま、立ちつくしている。
ふっと力を抜く雷弾に背後から声が掛かる。
「お見事!これが噂に聞く雷弾拳なんですね~」
見ればクリスタルパレスのがれきの山の上に、一人の男が立っていた。言葉からも態度からも殺気は感じない。それよりも、いつからそこに立っていたのだろうか。声を掛けられるまで気配を感じなかったのだ。相当の手練れだろう。
「何者だ?」
雷弾の詰問にその男はにっこり微笑むと、がれきの山を一息で飛び降り、雷弾に握手を求めた。
「いや~、失礼。私は唐出本太郎(からで ほんたろう)。真佐井さんと同じくHAMAZOの一員です」
2007年08月10日
祭りの後
歩く事もままならなかった人混みは、嘘の様に姿を消し
吹き抜ける風が、さっきまでの熱気と喧噪を奪い去る
体の芯にまで響いた太鼓のリズムが鼓動となり
まだ、体の中で燃えている
地上の灯りが一つ消え、二つ消え
夜空に星が再び灯る
昨日までの希望も
明日からの苦悩も
今日の高揚も
全ては夢か幻か
心地よい気怠さの中
これだけは確かな物だと、手の平が教えてくれた
何があっても離さない
そう誓って君と繋いだ手
少し照れくさく
それ以上に誇らしく
いつの間にか辺りを虫の音が包んでいた
そろそろ僕たちも歩き出そうか
向こうの角から朝が来る前に
吹き抜ける風が、さっきまでの熱気と喧噪を奪い去る
体の芯にまで響いた太鼓のリズムが鼓動となり
まだ、体の中で燃えている
地上の灯りが一つ消え、二つ消え
夜空に星が再び灯る
昨日までの希望も
明日からの苦悩も
今日の高揚も
全ては夢か幻か
心地よい気怠さの中
これだけは確かな物だと、手の平が教えてくれた
何があっても離さない
そう誓って君と繋いだ手
少し照れくさく
それ以上に誇らしく
いつの間にか辺りを虫の音が包んでいた
そろそろ僕たちも歩き出そうか
向こうの角から朝が来る前に
2007年07月27日
君のために
君のために歌を歌おう
うつむいてる君に笑顔のプレゼント
そんな気持ちになれる優しい歌
君のために絵を描こう
雨の夜でも怖くなくなるように
青空とひまわりの元気な夏の絵
君のために笛を吹こう
涙をぬぐってそっと口づけ
踊り出したくなる曲を吹こう
地の果てにある山を越え
荒れる海原の向こう
黄金の国
百万色の花が咲き
永遠の春にまどろむ
桃源郷
君のためなら星の雫も手に入れよう
ボクは君が大好きだ
世界で一番大好きだ
「ひとりぼっちはさみしいの」
君のためにそばに居よう
一緒に笑ってたくさん話そう
きっと一番欲しかったもの
やっとボクが気付いたもの
うつむいてる君に笑顔のプレゼント
そんな気持ちになれる優しい歌
君のために絵を描こう
雨の夜でも怖くなくなるように
青空とひまわりの元気な夏の絵
君のために笛を吹こう
涙をぬぐってそっと口づけ
踊り出したくなる曲を吹こう
地の果てにある山を越え
荒れる海原の向こう
黄金の国
百万色の花が咲き
永遠の春にまどろむ
桃源郷
君のためなら星の雫も手に入れよう
ボクは君が大好きだ
世界で一番大好きだ
「ひとりぼっちはさみしいの」
君のためにそばに居よう
一緒に笑ってたくさん話そう
きっと一番欲しかったもの
やっとボクが気付いたもの
2007年07月16日
一 胎動
木々の切れ目から、朝日で白く光る湖面が眼下に広がっているのが見える。まだ暗い真冬には、肌を切り裂く湖から吹き上がって来る風も、今の季節は軽く汗ばんだ体に心地よい。
真佐井 京(まさい きょう)は、吐く息を整えるように大きく息を吸い込むと、軽く目を閉じた。瞼の裏に、通り過ぎてきた数々の死闘が浮かび、消えていく。それらの光景を振り払うように軽く頭を振ると、吸い込んだ息を細く長く吐き出した。
再び目を開けると、目の前には、先程と変わらぬ平和な光景があった。
全ては終わったのだ。
真佐井はそう自分に言い聞かせる様に、傍らで真佐井を見上げている愛犬の頭を優しく撫でた。
さわやかな朝の光景であったが、真佐井には妙な胸騒ぎがしてならなかった。
朝起きてからというもの、首筋がピリピリと、空気中に溶けている微かな緊張の元を感知しているのだ。疲れが溜まっているのかも知れぬと思い、軽く汗を流したが、その気配は消えない。それどころか、より一層強くなっている気がした。
真佐井は四十半ばに差し掛かり、体力の衰えを感じてきていた。それ故の毎朝のトレーニングなのだが、それさえも、今日は億劫に感じていた。
そろそろ現役は厳しいのか・・・。
まだまだ若手には負けない自信はあった。しかし、こうして体力の衰えを実感すると、引退を考える時期なのかも知れないとも思う。
先のシャドウとの闘いの傷も、まだ完全には癒えていない。昔なら既に完治していて良い頃だった。回復力も落ちてきていた。
その時だった。音もなく、愛犬のそばにしゃがんでいる真佐井の背後へと、飛びかかる者があった。
しかし、その襲撃者の攻撃は空を切った。完全に真佐井の背後を捉えていたのだが、攻撃に移る瞬間の気配を真佐井に読まれていたのだ。
襲撃者は、自分の攻撃が空を切ると見るや、そのままの勢いで地面を二転三転し、素早く構えを取って起きあがる。が、目の前にいるはずの真佐井の姿はそこには無かった。
はっと視線を動かす間もなく、襲撃者を横から真佐井の蹴りが襲う。
襲撃者の意図を察知した真佐井は、素早く側面へと回り込んでいたのだ。
襲撃者は反射的に上げた腕でかろうじて直撃を免れたが、大きくバランスを崩した。続く真佐井の二撃目を避ける術は無い。
襲撃者は思わず目を瞑ったが、二撃目は来なかった。
目を開けると、腕組みした真佐井が上から見下ろしている。
その襲撃者はまだ少年だった。そうと見た真佐井が攻撃の手を弛めたのだろうか。
「甘いな」
にっと白い歯を見せて、真佐井が笑いながらそう言った。
ワンと、真佐井の横では、愛犬もその通りとばかりにしっぽを振っている。
「上手く隙をついたと思ったのにな~」
「でも、狙いは悪く無かったぞ」
そう言って残念そうに唇を尖らせる少年を、真佐井が逞しい腕を差し出して引き起こす。
「まだまだ父さんには適わないか。でも次の時には、一本取るからね!」
体の土を払いながら、少年が真佐井の腹を軽く拳で叩いた。
真佐井はその少年の頭をくしゃくしゃと撫でながら
「そう簡単には取らせないさ」
と言って、優しく微笑むのだった。
そこから徒歩僅か数分の所にある、浜松市フラワーパーク。30万㎡の敷地には、3,000種、10万本もの植物が植えられている。隣接する動物園と共に、市民には馴染みの場所だった。
その中に建てられている大温室、通称クリスタルパレスの中で、それは始まろうとしていた。
開園までにはまだ数時間が必要である。当然、職員もまだ出勤前だ。それにも関わらず、クリスタルパレスの中に人影があった。よくあるスウェットに身を包み、しゃがみ込んでなにやら作業をしている。
「これで最後だ・・・よし」
そう言って立ち上がると、作業の出来映えに満足したのだろう、深く被った帽子の下、口元がにやりと笑みの形を作る。
ここで何をしていたのだろうか。
その人物は辺りを軽く見回し、遺留品が無い事を確認すると、何事もなかったかのように、園を後にした。不思議な事に、セキュリティは一つも反応しなかった。
真佐井 京(まさい きょう)は、吐く息を整えるように大きく息を吸い込むと、軽く目を閉じた。瞼の裏に、通り過ぎてきた数々の死闘が浮かび、消えていく。それらの光景を振り払うように軽く頭を振ると、吸い込んだ息を細く長く吐き出した。
再び目を開けると、目の前には、先程と変わらぬ平和な光景があった。
全ては終わったのだ。
真佐井はそう自分に言い聞かせる様に、傍らで真佐井を見上げている愛犬の頭を優しく撫でた。
さわやかな朝の光景であったが、真佐井には妙な胸騒ぎがしてならなかった。
朝起きてからというもの、首筋がピリピリと、空気中に溶けている微かな緊張の元を感知しているのだ。疲れが溜まっているのかも知れぬと思い、軽く汗を流したが、その気配は消えない。それどころか、より一層強くなっている気がした。
真佐井は四十半ばに差し掛かり、体力の衰えを感じてきていた。それ故の毎朝のトレーニングなのだが、それさえも、今日は億劫に感じていた。
そろそろ現役は厳しいのか・・・。
まだまだ若手には負けない自信はあった。しかし、こうして体力の衰えを実感すると、引退を考える時期なのかも知れないとも思う。
先のシャドウとの闘いの傷も、まだ完全には癒えていない。昔なら既に完治していて良い頃だった。回復力も落ちてきていた。
その時だった。音もなく、愛犬のそばにしゃがんでいる真佐井の背後へと、飛びかかる者があった。
しかし、その襲撃者の攻撃は空を切った。完全に真佐井の背後を捉えていたのだが、攻撃に移る瞬間の気配を真佐井に読まれていたのだ。
襲撃者は、自分の攻撃が空を切ると見るや、そのままの勢いで地面を二転三転し、素早く構えを取って起きあがる。が、目の前にいるはずの真佐井の姿はそこには無かった。
はっと視線を動かす間もなく、襲撃者を横から真佐井の蹴りが襲う。
襲撃者の意図を察知した真佐井は、素早く側面へと回り込んでいたのだ。
襲撃者は反射的に上げた腕でかろうじて直撃を免れたが、大きくバランスを崩した。続く真佐井の二撃目を避ける術は無い。
襲撃者は思わず目を瞑ったが、二撃目は来なかった。
目を開けると、腕組みした真佐井が上から見下ろしている。
その襲撃者はまだ少年だった。そうと見た真佐井が攻撃の手を弛めたのだろうか。
「甘いな」
にっと白い歯を見せて、真佐井が笑いながらそう言った。
ワンと、真佐井の横では、愛犬もその通りとばかりにしっぽを振っている。
「上手く隙をついたと思ったのにな~」
「でも、狙いは悪く無かったぞ」
そう言って残念そうに唇を尖らせる少年を、真佐井が逞しい腕を差し出して引き起こす。
「まだまだ父さんには適わないか。でも次の時には、一本取るからね!」
体の土を払いながら、少年が真佐井の腹を軽く拳で叩いた。
真佐井はその少年の頭をくしゃくしゃと撫でながら
「そう簡単には取らせないさ」
と言って、優しく微笑むのだった。
そこから徒歩僅か数分の所にある、浜松市フラワーパーク。30万㎡の敷地には、3,000種、10万本もの植物が植えられている。隣接する動物園と共に、市民には馴染みの場所だった。
その中に建てられている大温室、通称クリスタルパレスの中で、それは始まろうとしていた。
開園までにはまだ数時間が必要である。当然、職員もまだ出勤前だ。それにも関わらず、クリスタルパレスの中に人影があった。よくあるスウェットに身を包み、しゃがみ込んでなにやら作業をしている。
「これで最後だ・・・よし」
そう言って立ち上がると、作業の出来映えに満足したのだろう、深く被った帽子の下、口元がにやりと笑みの形を作る。
ここで何をしていたのだろうか。
その人物は辺りを軽く見回し、遺留品が無い事を確認すると、何事もなかったかのように、園を後にした。不思議な事に、セキュリティは一つも反応しなかった。
2007年07月04日
雨の日
雨粒が降り注ぐ
いくつも、いくつも波紋が生まれ
隣の波紋とぶつかって消えていく
サア・・・
耳鳴りの様な雨音に包まれていると
世界に私は一人
私だけがこの世界
孤独な自分に満足する
雨はお空の掃除屋さん
雨粒が私の頬を打ち
手を打ち
髪を伝う
その度に私の中のアレもコレも流れていく
脈打つ体温と共に
澄んだ雨上がりの空に虹が見えた
私の心に虹は架かっているだろうか
いくつも、いくつも波紋が生まれ
隣の波紋とぶつかって消えていく
サア・・・
耳鳴りの様な雨音に包まれていると
世界に私は一人
私だけがこの世界
孤独な自分に満足する
雨はお空の掃除屋さん
雨粒が私の頬を打ち
手を打ち
髪を伝う
その度に私の中のアレもコレも流れていく
脈打つ体温と共に
澄んだ雨上がりの空に虹が見えた
私の心に虹は架かっているだろうか
2007年06月27日
旅人
家路につく子供たちが指をさす
蒼天を赤く焦がす夕日
遙か遠くの山々が黒い影になる
丘の上に一人
明日は何処へ行くのだろう
不安と期待
何処まで行けるのか
何処へ行きたいのか
振り返れば
東の空から月が昇り、星が瞬き
我が道程を静かに照らす
そろそろ家へ帰ろうかな
いや
足は動く、拳も握れる
まだ
歩いて行ける
生まれ落ちた地を離れ
遠くへ
ただ遠くへ
土の臭い
風の色
雪が溶け
花が散り
何度触れたのか、数知れず
裏切りも、ぬくもりも
それでも
見上げた空は
あの日と同じ色だった
蒼天を赤く焦がす夕日
遙か遠くの山々が黒い影になる
丘の上に一人
明日は何処へ行くのだろう
不安と期待
何処まで行けるのか
何処へ行きたいのか
振り返れば
東の空から月が昇り、星が瞬き
我が道程を静かに照らす
そろそろ家へ帰ろうかな
いや
足は動く、拳も握れる
まだ
歩いて行ける
生まれ落ちた地を離れ
遠くへ
ただ遠くへ
土の臭い
風の色
雪が溶け
花が散り
何度触れたのか、数知れず
裏切りも、ぬくもりも
それでも
見上げた空は
あの日と同じ色だった
2007年06月21日
階段
「俺が階段が好きだって言っていた事、覚えているだろう?」
梶田は、私の前にあぐらをかいて座りながら、懐かしいあの人なつっこい笑顔を向けてきた。梶田のこの笑顔を見るのは、実に二十年ぶりだった。
学生時代、私と梶田ともう一人斉藤とは、何かとウマが合い、教授の批判から恋愛、社会の矛盾点、果ては宇宙についてまで、とりとめもない事柄を、酒を片手に朝まで語り明かしたものだった。
そうした中で梶田自身が語ったのだが、梶田は階段に対して「異常な執着」としか取れない情熱を持っていた。
「いつだったか、俺が階段に興味を持ち始めたきっかけを話した事があったよな?子供の頃遊びに行ったおじいちゃん家で登った、土蔵の階段の話。これが階段かぁって、すごいドキドキしてね。あの時の感覚は、三十年以上経った今でもはっきりと思い出せるよ。今までとは違う、新しい世界へ俺を連れて行ってくれる。そんな気持ちになるんだ。今でも階段を登る度に、あの時の感覚が蘇ってくるよ。
でも、実際にその気分を味わえた事は、あの時以来一度も無いね。憧れの階段に登れたのと、あんなすごいおじいちゃん家に、まさか自分が住む事になるなんて思いもしなかったから、余計にそう感じたのかも知れない。あれは、それまでの俺の日常とはかけ離れ過ぎていたからね。
ほら、おまえも俺ん家に来たから分かるだろうけど、あの今にも潰れるんじゃないかって感じの借家。あそこからいきなり今の家だろ。もし、おとぎ話の世界だと言われても信じたね。幼稚園の頃から周りの奴らはほとんどが二階建ての家に住んでいたから、話に出てくる階段って存在に憧れていたんだ。
そりゃもちろん、小学校には階段があるし、街へ出れば店の階段もあった。でも、子供心にこれじゃないって思ってたんだよな。普通の家の中にある階段じゃなきゃ、意味がないってね。
俺の親がどんなだったかは、前にも話したから分かるだろう。
だから友達の親が、俺と遊んじゃいけないって自分の子供に言い聞かせていたみたいで、家に遊びにおいでよって誘われた事が無かった。だから、おじいちゃん家に行くまで、家の中の階段ってやつに触れた事が無かったんだ」
梶田が住んでいた借家は、川縁にぽつねんと建てられていた。雑草が茂る河原のような場所だった。借家と言うより物置小屋と言う方がぴったりで、本人の言う通り、本当にいつ潰れてもおかしくない位の造りだった。子供の頃は強い風が吹くと家中が揺れ、窓がガタガタ鳴るのが怖くて夜は寝られなかったと言っていた。
台風の時など、家ごと吹き飛ばされるんじゃないかと、本気で感じたらしい。雨と共に増水する川の流れも、並々ならぬ恐怖を与えたはずだ。学生の頃は、「この年になっても風と雷が怖い。幼少期のトラウマかな」と笑っていたが、そうなるのも頷ける。果たしてそのトラウマは克服できたのだろうか?
学生の時写真部に所属していた私に、その借家の取り壊しが決まったから写真を撮ってくれないかと、珍しく梶田から頼み事をされた。滅多に他人を頼らない梶田からの頼みとあって、私は快く引き受け、梶田と一緒に出かけていった。そこで初めて梶田の育った家を見た。
子供だった梶田が、単に夜の風や台風を恐ろしく感じただけではなかったのだと、思い直した事を覚えている。
ここに人が住んでいたのか。晩夏の日差しの中、背の高いブタクサに囲まれた錆だらけのトタン屋根。頭をぶつけそうな程の低すぎる軒に、不謹慎だが、そう思ってしまった。梶田が住んでいた時から十年は経っていた。よくぞ今まで持ちこたえたなぁと言うのが、正直な感想だった。わざわざ取り壊さずとも、次の台風が来れば、バラバラに吹き飛んでしまいそうに思えた。
その時撮った写真は、今でも覚えている。
薄暗い借家。ベニヤが反ってめくれあがった扉。色のはげ落ちた壁。色あせた灰色の家を囲む様に生い茂るブタクサの黄色い花と、高くなり始めた真っ青な空。中央には白いサマージャケット姿の梶田が微笑んでいた。ファインダー越しに見た梶田の表情が陰って見えたのは、逆光のせいだけではなかったと思う。
当時の梶田には、私と斉藤以外に友人と呼べる存在はいなかった。そんな梶田にとって、思い出の場所が無くなると言うのは、他の者よりも幾倍も切なく苦しいものだったのだろう。現像してネガも渡そうとしたのだが、「写真だけでいい」と受け取らなかった。私はそのネガを今でも大切に保管してあった。
梶田の父親はヤクザ者だった。それが原因で子供の頃は遊び相手もなく、一人で校庭の隅にいる事が多かったらしい。梶田の父親は結婚を機にその世界から足を洗ったのだが、世間の目は冷たく、また喧嘩早い性格が災いして、仕事も長く続かなかったらしい。
それでも梶田や、梶田の母親には一度も手を挙げた事が無かったと、少し誇らしげに言っていた。
梶田の話を聞いた時には、私はそんな偏見に満ちた親にはならないぞと誓ったのだが、いざ結婚をし子供ができると、そうも言っていられない自分がいた。元とはいえ、ヤクザ者を親に持つ子と自分の子が仲良くすることに、諸手を挙げて賛成はできなかった。
特に今は誰がジョーカーなのか分からない時代だ。毎朝挨拶を交わす隣の住人でさえ、気を許す事はできない。
かつて、梶田の話やテレビに向かって「肩書きや見た目で判断するなんて、とんでもない偏見だ」と言っていた自分が、今となっては偽善者としか思えなかった。
「そんな俺がいきなりあの家だろ。
あれはカルチャーショックなんてもんじゃなかったね。世の中の不公平に文句を言う程まだ世の中を知らなかったし、知っていたとしても、そんな暇なんて無かっただろうね。とにかく、見るもの全てが初めての物ばかりで、ただ夢中だったからね」
学生の時に数回、梶田の家に行った事があった。元は梶田の祖父の家だった大きな屋敷。あの借家を見ていればこそ、梶田の受けたショックの大きさが相当の物だっただろうと見当がつく。梶田の住んでいた家は両極端だったが、どちらも住む世界が違うと思った。
高い塀に囲まれた、都心なのに樹木の多い屋敷だった。お抱えの運転手に執事に召し使い。お約束のドーベルマンの番犬もいた。宮殿の様な大きな屋敷ではなく、平屋の純日本家屋なのが、かえって桁違いの金持ちなのだと感じた。手入れされた広い庭と、わざとそうしてあるらしいが、裏庭の鬱蒼と茂る木々。その中に、まるで隠れ家の様にひっそりと佇む白い土蔵。それが、梶田が初めて登った
「家の中の階段」がある土蔵だった。
梶田の祖父は、ある大手家電会社の社長だった。梶田の母親はそこの一人娘だった。その娘が結婚したいと連れて来たのが、派手な柄シャツに白のエナメルを履いた、どう見てもチンピラにしか見えない男だった。
当然、結婚が認められるはずもなく、二人は駆け落ち同然に家を出て行き、あの借家で生活を始めたのだ。その頃には既に母親のお腹には梶田がいた。梶田の祖父が反対したのには、梶田の父親がヤクザ者だった事は言うまでもないが、梶田の母親がまだ高校生だった事もその理由だった。
梶田が小学生の時、突然祖父から許しが出て、梶田の一家は祖父の家へと引っ越した。詳しい理由は聞かず終いだったらしいが、程なく祖父が体調不良を理由に会長職へ退いた事から、その辺りが理由だろうと言っていた。
梶田の父親には元々商才があったらしい。梶田の祖父のコネで引っ越しと同時に家電メーカーへ入社すると、めきめきと頭角を現していった。若い頃の様にすぐ喧嘩する事も無くなり、それどころか、曲がった事が嫌いな性格と度胸の良さから、若い社員の人気を得る様になっていた。会長の娘婿という事も良い方向に働いていたようだった。
「おかげで、今でも階段に飢えている状態なんだ。
これまで、世の中の階段という階段はほとんど登り尽くしたと言ってもいい位、今まで色々な階段に登ってきた。ビルの非常階段や、狭くて暗い城の階段。あの階段からすると、昔の日本人って、本当に小さかったんだろうね。スタジアムの照明塔に登る為に、電気の資格を取って、電気工事会社へ就職もしたし、東京タワーや電柱にも登った。外国へも行った。有名な城や塔はもちろん、ピラミッドにも、万里の長城さえも登った。
それでも、あの時の感覚には未だに出会えていない。
単純に、高ければいいのかも知れないと考えて、パラグライダーやスカイダイビングもやってみたけど、違ったね。高いだけじゃだめなんだ。あの一歩一歩自らを高い位置へと運んでいくのが、必要らしいんだ。
斉藤には理解出来ないかも知れないけど、お前ならわかるだろう。人にはどうしようも出来ない心の領域が存在するって事」
そう言って梶田は山の様な写真を広げて見せた。私に見せるのが初めてかも知れないそれらの写真には、国内外を問わず、著名な階段のある建造物と梶田が写っていた。写真を見る限りでは、この二十年の間、親の資力に任せて世界中の階段を求めて彷徨い歩いていたようだった。
だが、今日突然訪ねてきたのは、この写真を見ながら昔話をする為では無いはずだ。梶田はそんな私の視線に気がついたらしい。
「つい君に会えたのが懐かしくて無駄話をしている様に思っているんだろう?そうじゃないんだ。今日来たのは、これに関係がある、と言うよりこの事なんだ。
写真を見て分かったと思うけど、俺は実に二十年もの間、あのドキドキする感触を得たいが為に、世界中を旅してきた。それでも、さっきも言った通り、あの感覚に出会える事は無かった。
もうこれ以上登る階段は世界に存在しない。俺はあの感覚を二度と味わう事は出来ないんだって、悲嘆にくれていた。ところが先週だったかな。突然、まだ俺が登った事の無い、見た事もない階段がある事に気づいたんだ。話の中でしか聞いた事のない、でも確実に実在するだろう階段にね。その階段そこ、世界中の階段という階段を登り尽くした俺が最期に登るのに相応しい階段だろう。
だけどその階段を登るのは簡単じゃない。そりゃ今までだって、普通には登れない階段を登ってきたけど、今度の階段に比べればどうってことはない。
もう、分かっただろう。俺が登りたい階段が。そして、俺がなぜお前の所へ来たのかが。他の人間に頼んでもダメなんだ。精神科医のお前にしか頼めないんだ。頼むよ、あの階段に登るにはお前の証言が必要なんだ。その為に俺はこんな事までしたんだぜ!」
そう言うと、梶田は血まみれの手で私の目の前の写真の山を払いのけると、血の色に染まった刺身包丁を畳に突き立て、後ろ手に縛られ猿ぐつわをかまさて畳の上に転がる私に、ぐっとかがみ込んで顔を近づける。荒い息づかいと共に、梶田の血走った目と震える唇が目の前に迫る。
そこには飢餓感と陶酔感が混ざり合った、精神病患者特有の表情があった。
あの人なつっこい笑顔は完全に消えていた。
おそらく、隣室では妻と娘が既に息絶えているのだろう。むせかえる程の血の匂いが部屋中に満ちていた。梶田が包丁を片手に隣室から戻ってきてから、隣室では物音一つしていない。梶田はおびただしい返り血で全身を赤黒く染めていた。まさに地獄の悪鬼そのものだった。
そして、梶田を呪う私の視線を物ともせず、梶田はこう言ったのだ。
「頼む、俺を絞首刑にしてくれ。死の十三階段を登りたいんだ!」
数ヶ月後、私は精神科医として、また梶田の被害者として法廷に出席し、証言した。当時の梶田には精神異常も薄弱も認められず、責任能力があった事を。そして必ず梶田を死刑にしてくれるように強く望んでいる事も。
さらに数ヶ月が経ち判決が下された。
被告梶田光男。
右の者、自分の両親と屋敷中の使用人殺害及び、友人の妻と娘殺害の罪により、死刑。
私が望み、そして梶田が望んだ死刑だった。
梶田は「あのドキドキする感触」を感じる事が出来たのだろうか?
やりきれなさだけが、私の心に残った。
梶田は、私の前にあぐらをかいて座りながら、懐かしいあの人なつっこい笑顔を向けてきた。梶田のこの笑顔を見るのは、実に二十年ぶりだった。
学生時代、私と梶田ともう一人斉藤とは、何かとウマが合い、教授の批判から恋愛、社会の矛盾点、果ては宇宙についてまで、とりとめもない事柄を、酒を片手に朝まで語り明かしたものだった。
そうした中で梶田自身が語ったのだが、梶田は階段に対して「異常な執着」としか取れない情熱を持っていた。
「いつだったか、俺が階段に興味を持ち始めたきっかけを話した事があったよな?子供の頃遊びに行ったおじいちゃん家で登った、土蔵の階段の話。これが階段かぁって、すごいドキドキしてね。あの時の感覚は、三十年以上経った今でもはっきりと思い出せるよ。今までとは違う、新しい世界へ俺を連れて行ってくれる。そんな気持ちになるんだ。今でも階段を登る度に、あの時の感覚が蘇ってくるよ。
でも、実際にその気分を味わえた事は、あの時以来一度も無いね。憧れの階段に登れたのと、あんなすごいおじいちゃん家に、まさか自分が住む事になるなんて思いもしなかったから、余計にそう感じたのかも知れない。あれは、それまでの俺の日常とはかけ離れ過ぎていたからね。
ほら、おまえも俺ん家に来たから分かるだろうけど、あの今にも潰れるんじゃないかって感じの借家。あそこからいきなり今の家だろ。もし、おとぎ話の世界だと言われても信じたね。幼稚園の頃から周りの奴らはほとんどが二階建ての家に住んでいたから、話に出てくる階段って存在に憧れていたんだ。
そりゃもちろん、小学校には階段があるし、街へ出れば店の階段もあった。でも、子供心にこれじゃないって思ってたんだよな。普通の家の中にある階段じゃなきゃ、意味がないってね。
俺の親がどんなだったかは、前にも話したから分かるだろう。
だから友達の親が、俺と遊んじゃいけないって自分の子供に言い聞かせていたみたいで、家に遊びにおいでよって誘われた事が無かった。だから、おじいちゃん家に行くまで、家の中の階段ってやつに触れた事が無かったんだ」
梶田が住んでいた借家は、川縁にぽつねんと建てられていた。雑草が茂る河原のような場所だった。借家と言うより物置小屋と言う方がぴったりで、本人の言う通り、本当にいつ潰れてもおかしくない位の造りだった。子供の頃は強い風が吹くと家中が揺れ、窓がガタガタ鳴るのが怖くて夜は寝られなかったと言っていた。
台風の時など、家ごと吹き飛ばされるんじゃないかと、本気で感じたらしい。雨と共に増水する川の流れも、並々ならぬ恐怖を与えたはずだ。学生の頃は、「この年になっても風と雷が怖い。幼少期のトラウマかな」と笑っていたが、そうなるのも頷ける。果たしてそのトラウマは克服できたのだろうか?
学生の時写真部に所属していた私に、その借家の取り壊しが決まったから写真を撮ってくれないかと、珍しく梶田から頼み事をされた。滅多に他人を頼らない梶田からの頼みとあって、私は快く引き受け、梶田と一緒に出かけていった。そこで初めて梶田の育った家を見た。
子供だった梶田が、単に夜の風や台風を恐ろしく感じただけではなかったのだと、思い直した事を覚えている。
ここに人が住んでいたのか。晩夏の日差しの中、背の高いブタクサに囲まれた錆だらけのトタン屋根。頭をぶつけそうな程の低すぎる軒に、不謹慎だが、そう思ってしまった。梶田が住んでいた時から十年は経っていた。よくぞ今まで持ちこたえたなぁと言うのが、正直な感想だった。わざわざ取り壊さずとも、次の台風が来れば、バラバラに吹き飛んでしまいそうに思えた。
その時撮った写真は、今でも覚えている。
薄暗い借家。ベニヤが反ってめくれあがった扉。色のはげ落ちた壁。色あせた灰色の家を囲む様に生い茂るブタクサの黄色い花と、高くなり始めた真っ青な空。中央には白いサマージャケット姿の梶田が微笑んでいた。ファインダー越しに見た梶田の表情が陰って見えたのは、逆光のせいだけではなかったと思う。
当時の梶田には、私と斉藤以外に友人と呼べる存在はいなかった。そんな梶田にとって、思い出の場所が無くなると言うのは、他の者よりも幾倍も切なく苦しいものだったのだろう。現像してネガも渡そうとしたのだが、「写真だけでいい」と受け取らなかった。私はそのネガを今でも大切に保管してあった。
梶田の父親はヤクザ者だった。それが原因で子供の頃は遊び相手もなく、一人で校庭の隅にいる事が多かったらしい。梶田の父親は結婚を機にその世界から足を洗ったのだが、世間の目は冷たく、また喧嘩早い性格が災いして、仕事も長く続かなかったらしい。
それでも梶田や、梶田の母親には一度も手を挙げた事が無かったと、少し誇らしげに言っていた。
梶田の話を聞いた時には、私はそんな偏見に満ちた親にはならないぞと誓ったのだが、いざ結婚をし子供ができると、そうも言っていられない自分がいた。元とはいえ、ヤクザ者を親に持つ子と自分の子が仲良くすることに、諸手を挙げて賛成はできなかった。
特に今は誰がジョーカーなのか分からない時代だ。毎朝挨拶を交わす隣の住人でさえ、気を許す事はできない。
かつて、梶田の話やテレビに向かって「肩書きや見た目で判断するなんて、とんでもない偏見だ」と言っていた自分が、今となっては偽善者としか思えなかった。
「そんな俺がいきなりあの家だろ。
あれはカルチャーショックなんてもんじゃなかったね。世の中の不公平に文句を言う程まだ世の中を知らなかったし、知っていたとしても、そんな暇なんて無かっただろうね。とにかく、見るもの全てが初めての物ばかりで、ただ夢中だったからね」
学生の時に数回、梶田の家に行った事があった。元は梶田の祖父の家だった大きな屋敷。あの借家を見ていればこそ、梶田の受けたショックの大きさが相当の物だっただろうと見当がつく。梶田の住んでいた家は両極端だったが、どちらも住む世界が違うと思った。
高い塀に囲まれた、都心なのに樹木の多い屋敷だった。お抱えの運転手に執事に召し使い。お約束のドーベルマンの番犬もいた。宮殿の様な大きな屋敷ではなく、平屋の純日本家屋なのが、かえって桁違いの金持ちなのだと感じた。手入れされた広い庭と、わざとそうしてあるらしいが、裏庭の鬱蒼と茂る木々。その中に、まるで隠れ家の様にひっそりと佇む白い土蔵。それが、梶田が初めて登った
「家の中の階段」がある土蔵だった。
梶田の祖父は、ある大手家電会社の社長だった。梶田の母親はそこの一人娘だった。その娘が結婚したいと連れて来たのが、派手な柄シャツに白のエナメルを履いた、どう見てもチンピラにしか見えない男だった。
当然、結婚が認められるはずもなく、二人は駆け落ち同然に家を出て行き、あの借家で生活を始めたのだ。その頃には既に母親のお腹には梶田がいた。梶田の祖父が反対したのには、梶田の父親がヤクザ者だった事は言うまでもないが、梶田の母親がまだ高校生だった事もその理由だった。
梶田が小学生の時、突然祖父から許しが出て、梶田の一家は祖父の家へと引っ越した。詳しい理由は聞かず終いだったらしいが、程なく祖父が体調不良を理由に会長職へ退いた事から、その辺りが理由だろうと言っていた。
梶田の父親には元々商才があったらしい。梶田の祖父のコネで引っ越しと同時に家電メーカーへ入社すると、めきめきと頭角を現していった。若い頃の様にすぐ喧嘩する事も無くなり、それどころか、曲がった事が嫌いな性格と度胸の良さから、若い社員の人気を得る様になっていた。会長の娘婿という事も良い方向に働いていたようだった。
「おかげで、今でも階段に飢えている状態なんだ。
これまで、世の中の階段という階段はほとんど登り尽くしたと言ってもいい位、今まで色々な階段に登ってきた。ビルの非常階段や、狭くて暗い城の階段。あの階段からすると、昔の日本人って、本当に小さかったんだろうね。スタジアムの照明塔に登る為に、電気の資格を取って、電気工事会社へ就職もしたし、東京タワーや電柱にも登った。外国へも行った。有名な城や塔はもちろん、ピラミッドにも、万里の長城さえも登った。
それでも、あの時の感覚には未だに出会えていない。
単純に、高ければいいのかも知れないと考えて、パラグライダーやスカイダイビングもやってみたけど、違ったね。高いだけじゃだめなんだ。あの一歩一歩自らを高い位置へと運んでいくのが、必要らしいんだ。
斉藤には理解出来ないかも知れないけど、お前ならわかるだろう。人にはどうしようも出来ない心の領域が存在するって事」
そう言って梶田は山の様な写真を広げて見せた。私に見せるのが初めてかも知れないそれらの写真には、国内外を問わず、著名な階段のある建造物と梶田が写っていた。写真を見る限りでは、この二十年の間、親の資力に任せて世界中の階段を求めて彷徨い歩いていたようだった。
だが、今日突然訪ねてきたのは、この写真を見ながら昔話をする為では無いはずだ。梶田はそんな私の視線に気がついたらしい。
「つい君に会えたのが懐かしくて無駄話をしている様に思っているんだろう?そうじゃないんだ。今日来たのは、これに関係がある、と言うよりこの事なんだ。
写真を見て分かったと思うけど、俺は実に二十年もの間、あのドキドキする感触を得たいが為に、世界中を旅してきた。それでも、さっきも言った通り、あの感覚に出会える事は無かった。
もうこれ以上登る階段は世界に存在しない。俺はあの感覚を二度と味わう事は出来ないんだって、悲嘆にくれていた。ところが先週だったかな。突然、まだ俺が登った事の無い、見た事もない階段がある事に気づいたんだ。話の中でしか聞いた事のない、でも確実に実在するだろう階段にね。その階段そこ、世界中の階段という階段を登り尽くした俺が最期に登るのに相応しい階段だろう。
だけどその階段を登るのは簡単じゃない。そりゃ今までだって、普通には登れない階段を登ってきたけど、今度の階段に比べればどうってことはない。
もう、分かっただろう。俺が登りたい階段が。そして、俺がなぜお前の所へ来たのかが。他の人間に頼んでもダメなんだ。精神科医のお前にしか頼めないんだ。頼むよ、あの階段に登るにはお前の証言が必要なんだ。その為に俺はこんな事までしたんだぜ!」
そう言うと、梶田は血まみれの手で私の目の前の写真の山を払いのけると、血の色に染まった刺身包丁を畳に突き立て、後ろ手に縛られ猿ぐつわをかまさて畳の上に転がる私に、ぐっとかがみ込んで顔を近づける。荒い息づかいと共に、梶田の血走った目と震える唇が目の前に迫る。
そこには飢餓感と陶酔感が混ざり合った、精神病患者特有の表情があった。
あの人なつっこい笑顔は完全に消えていた。
おそらく、隣室では妻と娘が既に息絶えているのだろう。むせかえる程の血の匂いが部屋中に満ちていた。梶田が包丁を片手に隣室から戻ってきてから、隣室では物音一つしていない。梶田はおびただしい返り血で全身を赤黒く染めていた。まさに地獄の悪鬼そのものだった。
そして、梶田を呪う私の視線を物ともせず、梶田はこう言ったのだ。
「頼む、俺を絞首刑にしてくれ。死の十三階段を登りたいんだ!」
数ヶ月後、私は精神科医として、また梶田の被害者として法廷に出席し、証言した。当時の梶田には精神異常も薄弱も認められず、責任能力があった事を。そして必ず梶田を死刑にしてくれるように強く望んでいる事も。
さらに数ヶ月が経ち判決が下された。
被告梶田光男。
右の者、自分の両親と屋敷中の使用人殺害及び、友人の妻と娘殺害の罪により、死刑。
私が望み、そして梶田が望んだ死刑だった。
梶田は「あのドキドキする感触」を感じる事が出来たのだろうか?
やりきれなさだけが、私の心に残った。
2007年06月15日
堕ちた天使
清らかな真白き翼
いつの間にか傷つき汚れ
今では羽ばたくことさえできない
痛みを知らない神様には
そんな気持ちは分からない
そんな気持ちは伝わらない
役に立たない天使が一人
今日も空を見上げてる
汚れを知らぬ細い指
雨に打たれ埃にまみれ
固い拳に変わり果てた
光しか知らない神様には
拳の意味は分からない
拳の意味は伝わらない
役に立たない天使が一人
心の中で血を流す
光に背いた訳ではない
闇に惹かれた訳でもない
追い求めても光がすり抜け逃げて行く
役に立たない天使が一人
光を求め彷徨い歩く
いつの間にか傷つき汚れ
今では羽ばたくことさえできない
痛みを知らない神様には
そんな気持ちは分からない
そんな気持ちは伝わらない
役に立たない天使が一人
今日も空を見上げてる
汚れを知らぬ細い指
雨に打たれ埃にまみれ
固い拳に変わり果てた
光しか知らない神様には
拳の意味は分からない
拳の意味は伝わらない
役に立たない天使が一人
心の中で血を流す
光に背いた訳ではない
闇に惹かれた訳でもない
追い求めても光がすり抜け逃げて行く
役に立たない天使が一人
光を求め彷徨い歩く
2007年06月11日
Moon Drive!
駆け抜ける深夜のハイウェイ
鉄とコンクリートの固まりがオレを見下ろす
人のエゴが建てたビルの林
夜を知らずに働く人の群
魂を削って何を得るのだろう?
大地を汚して何を得たのだろう?
今のオレには関係ない
全てを吹っ飛ばすぜハイスピード!
今夜のオレは腹ぺこのスピードイーター
光の矢でさえオレには追いつけない
日常を吹き飛ばす魔法のジェネレーター
月の光を背中に浴びて、オレは走り続ける Moon Drive!
闇を切り裂き踊るワインディング
木々が黒い影となってオレを眺める
山を削り傷つけ進むアスファルトの道
埋め立てられた海岸線
自然と戦い何を学んだのだろう?
大地を蝕み何を学んだのだろう?
今のオレにはどうでもいい
誰にも止められないスタンピード!
今夜のオレは狂ったリスキーダイバー
ショットガンでさえオレを捉えられない
ブレーキが壊れたクレイジーライダー
月の光が背中を押す、オレは止まらない Moon Drive!
今夜も月がオレを青く照らす
オレは走り続ける Moon Drive!
オレは止まらない Moon Drive!
鉄とコンクリートの固まりがオレを見下ろす
人のエゴが建てたビルの林
夜を知らずに働く人の群
魂を削って何を得るのだろう?
大地を汚して何を得たのだろう?
今のオレには関係ない
全てを吹っ飛ばすぜハイスピード!
今夜のオレは腹ぺこのスピードイーター
光の矢でさえオレには追いつけない
日常を吹き飛ばす魔法のジェネレーター
月の光を背中に浴びて、オレは走り続ける Moon Drive!
闇を切り裂き踊るワインディング
木々が黒い影となってオレを眺める
山を削り傷つけ進むアスファルトの道
埋め立てられた海岸線
自然と戦い何を学んだのだろう?
大地を蝕み何を学んだのだろう?
今のオレにはどうでもいい
誰にも止められないスタンピード!
今夜のオレは狂ったリスキーダイバー
ショットガンでさえオレを捉えられない
ブレーキが壊れたクレイジーライダー
月の光が背中を押す、オレは止まらない Moon Drive!
今夜も月がオレを青く照らす
オレは走り続ける Moon Drive!
オレは止まらない Moon Drive!
2007年06月09日
暗闇なんてぶっとばせ
絶望の闇が全てを包み込んだ時こそ
希望の星を打ち上げろ!
一つ一つは小さな星でも
百億粒の星を集めれば
太陽にだって負けやしない!
希望の光は消せやしない!
何をやっても上手くいかず落ち込んだ時には
自分の夢を思い出せ!
同じ毎日の繰り返しで
おいてきぼりの夢だって
歩き出さなきゃ手にできない!
夢に向かって突っ走れ!
全てを投げ出したい時がある
どこかへ逃げ出したい時もある
足下にできた自分の影だけ見ていたら
この世は真っ暗闇のまま
顔を上げろ!
胸を張れ!
ほら、この世は光があふれてる
大切な人もそばにいる
足を前へ踏み出せば
明るい道が現れる
その手を前へ差し出せば
みんなが助けの手を伸ばす
一人じゃないよ
大切な人がそばにいる
楽しみ方を忘れてないかい?
楽しむことを思い出したかい?
夢と希望が満ちあふれている時には
時々立ち止まってみよう
日々の中で気づかずにいる
たくさんの幸せが見えるはず
だから
暗闇なんかに負けやしない!
暗闇なんかやってこない!
希望の星を打ち上げろ!
一つ一つは小さな星でも
百億粒の星を集めれば
太陽にだって負けやしない!
希望の光は消せやしない!
何をやっても上手くいかず落ち込んだ時には
自分の夢を思い出せ!
同じ毎日の繰り返しで
おいてきぼりの夢だって
歩き出さなきゃ手にできない!
夢に向かって突っ走れ!
全てを投げ出したい時がある
どこかへ逃げ出したい時もある
足下にできた自分の影だけ見ていたら
この世は真っ暗闇のまま
顔を上げろ!
胸を張れ!
ほら、この世は光があふれてる
大切な人もそばにいる
足を前へ踏み出せば
明るい道が現れる
その手を前へ差し出せば
みんなが助けの手を伸ばす
一人じゃないよ
大切な人がそばにいる
楽しみ方を忘れてないかい?
楽しむことを思い出したかい?
夢と希望が満ちあふれている時には
時々立ち止まってみよう
日々の中で気づかずにいる
たくさんの幸せが見えるはず
だから
暗闇なんかに負けやしない!
暗闇なんかやってこない!
2007年06月03日
ボク
ボクは何でもできた。
ボクは走るのが速かった。小学校では毎年、運動会のリレーの選手に選ばれた。短距離走で、市の大会で入賞したこともあった。走っている時の体は軽く、本当に羽が生えた様に感じた。
ボクは力も強かった。体が大きい方だったこともあるが、ボクのクラスでは、腕相撲でボクに勝てるヤツは一人もいなかった。小学校腕相撲ランキングがあれば、確実に学年で5位以内に入っていたはずだ。
ボクはケンカも強かった。めそめそして、じっとして、いじめられているだけのヤツは嫌いだった。それ以上に、そいつをいじめているヤツが嫌いだった。いじめられてるヤツを助けるつもりはなかったけど、いじめているヤツにはケンカをふっかけていた。
ボクは何でもできた。
木登りも、鉄棒も、ドッヂボールもみんな得意だった。まわりのみんなより、早く、上手く、やることができた。
今、私は何もできなくなった。
走るのも遅くなった。走っても、体は少しも軽く感じない。重くて邪魔な肉と脂肪が付き、もう昔の様には速く走れなくなった。
力も弱くなった。もちろん昔に比べれば、握力も筋力も強くなっているとは思う。でも、まわりのみんなは、もっと力が強くなった。今では体も小さい方になってしまった。私だけが取り残されたように感じる。
ケンカをするなんて、今では考えられない。私がケンカで勝てる相手など、もういないかもしれない。昔いじめられるだけだったヤツにさえ、勝てはしないだろう。
木登りも、鉄棒も、ドッヂボールも、どれも昔ほど得意ではない。むしろ苦手になった。
大人になった私は、何もできなくなった。
「もう子供じゃないんだから、そんな事しなくていいのよ」
母が私にそう言った。
「もうおまえも自分のことを”ボク”と言うのはやめなさい。もうおまえも大人なんだから、これからは自分のことを”私”と言うんだ」
父は私にそう言った。
ボクから私へ。
大人になる。
ボクが望んでいた大人は、私ではなかった。もっと違う大人になるのだと思っていた。
現実は容赦なく、突然に訪れた。
ボクは大人になった。
ボクは私になった。
中学校に上がり、制服に袖を通した時、もうボクには戻れないのだと感じた。
ボクは女になった。
ボクは走るのが速かった。小学校では毎年、運動会のリレーの選手に選ばれた。短距離走で、市の大会で入賞したこともあった。走っている時の体は軽く、本当に羽が生えた様に感じた。
ボクは力も強かった。体が大きい方だったこともあるが、ボクのクラスでは、腕相撲でボクに勝てるヤツは一人もいなかった。小学校腕相撲ランキングがあれば、確実に学年で5位以内に入っていたはずだ。
ボクはケンカも強かった。めそめそして、じっとして、いじめられているだけのヤツは嫌いだった。それ以上に、そいつをいじめているヤツが嫌いだった。いじめられてるヤツを助けるつもりはなかったけど、いじめているヤツにはケンカをふっかけていた。
ボクは何でもできた。
木登りも、鉄棒も、ドッヂボールもみんな得意だった。まわりのみんなより、早く、上手く、やることができた。
今、私は何もできなくなった。
走るのも遅くなった。走っても、体は少しも軽く感じない。重くて邪魔な肉と脂肪が付き、もう昔の様には速く走れなくなった。
力も弱くなった。もちろん昔に比べれば、握力も筋力も強くなっているとは思う。でも、まわりのみんなは、もっと力が強くなった。今では体も小さい方になってしまった。私だけが取り残されたように感じる。
ケンカをするなんて、今では考えられない。私がケンカで勝てる相手など、もういないかもしれない。昔いじめられるだけだったヤツにさえ、勝てはしないだろう。
木登りも、鉄棒も、ドッヂボールも、どれも昔ほど得意ではない。むしろ苦手になった。
大人になった私は、何もできなくなった。
「もう子供じゃないんだから、そんな事しなくていいのよ」
母が私にそう言った。
「もうおまえも自分のことを”ボク”と言うのはやめなさい。もうおまえも大人なんだから、これからは自分のことを”私”と言うんだ」
父は私にそう言った。
ボクから私へ。
大人になる。
ボクが望んでいた大人は、私ではなかった。もっと違う大人になるのだと思っていた。
現実は容赦なく、突然に訪れた。
ボクは大人になった。
ボクは私になった。
中学校に上がり、制服に袖を通した時、もうボクには戻れないのだと感じた。
ボクは女になった。
2007年05月30日
扉
扉。ある空間と別の空間をつなぐ物。
その空間は部屋とその外部の構造物の場合もあれば、建物の外と内の関係にある空間の場合もある。
その空間は物理的な「物」に限られている訳ではない。
”心の扉”、”未来への扉”、”希望の扉”等、抽象的な空間についても、その空間と別の空間をつなぐ物として、扉は存在する。
扉の材質も様々だ。木の扉、石の扉、鉄の扉、ガラスの扉。
形も四角形が一般的だが、丸や三角の扉が無いわけではない。
なぜこんな扉の話をするのかって?
それは私にとって、扉が特別の意味を持っているからに他ならない。私の人生で扉は重要な意味を持っている。そのことに気づいたのはつい最近になってからだけどね。こうして今までの人生をゆっくり振り返る時間が今まで無かったし、しかも、ここでは人生を振り返る事くらいしかやることが無いしね。
それで、私の人生にとって扉という物は特別な存在だと言うことに気づいた訳だ。
その扉は木でできた扉だった。子供の頃住んでいた家の居間の扉だった。
その朝、何かが割れるガチャンという音で目を覚ました。いつもの事だった。
パジャマから着替えて1階の居間へ降りていく。扉を開けると見慣れた光景が広がっていた。父はバットを手にし、包丁を握りしめた母と対峙していた。父の背後で、先週ガレージセールで父が買ってきた、大きな絵皿が粉々になっていた。
これが、我が家では当たり前の夫婦喧嘩の光景だった。
こんな時の私の役目は決まっていた。抗議の意味を込めて力一杯居間の扉を閉め、近所を散歩して帰ってくる。その頃には、夫婦喧嘩も収まり、母が私の大好きな蜂蜜たっぷりのホットケーキを焼いて待っている。それを父の膝に乗って食べさせてもらう。それは一種の儀式のように我が家では決まり切った事だった。
夫婦喧嘩を見るのはいやだったが、そのあといつもより父も母も優しくなるのがうれしかった。もちろん、蜂蜜たっぷりのホットケーキが食らべれることも楽しみだった。
だけどその日、その楽しみは永遠にやってこなかった。
散歩から帰った私を待っていたのは、頭に突き刺さるような救急車のサイレンの音と、たくさんの大人だった。
私の家から、黒い大きな車が飛び出していた。実際には暴走車が私の家に突っ込んだのだが、その時は家から車が出てきたように見えた。
何かが焦げた臭いに混ざって、ホットケーキの甘い香りが漂っていたのを覚えている。
その後の事はあまりよく覚えていない。
気がついたら、叔父の家にいた。
父と母は即死だったと、後で聞いた。
子供がいなかった叔父夫婦は私を養子に迎え、大学まで行かせてくれた。二人とも私にとても優しくしてくれた。また、本当の子のようにしかってくれた。
叔父の家の居間の扉も、私の家の物と同じ形と色だったが、その扉の向こうには父も母もいなかった。皿や蛍光灯が割れる音も、聞こえてこなかった。
今でも叔父夫婦には感謝している。その叔父は一昨年息を引き取り、叔母もその後を追うように去年死んだ。
「幸せになっておくれ」
それが遺言だった。
私が父と母が死んだ事故について調べていたのを知っていたのだと思う。
父と母の記憶は子供の頃の数年間しかない。しかもその記憶のほとんどは、夫婦喧嘩をしている記憶だ。それでも私は父と母が大好きだったらしい。
私から父と母を奪った相手が憎かった。そう、憎かった。
父と母の事が大好きだったから、その命を奪った相手が憎いのか、私の楽しい時間を奪ったから憎いのか、・・・おそらく両方だと思う。
だから、殺した。全員。
父と母が死んだ事故で、私の家に飛び込んだ暴走車を運転していた人物が、何の刑罰も科されることが無かったと知った時には、激しい憤りで体が震えた。何の刑罰も科されなかった理由が「議員の息子」だと知った時には、社会全体に対しても、怒りがこみ上げてきた。
かつて「議員の息子」だった人物は、「議員」になっていた。もちろん殺人者であるという過去は闇に葬られていた。
私はその「議員」を殺し、私も同じ殺人者となった。
もちろん殺人は許される事ではない。それは十分理解している。
でも、法で裁くことはできなかったのだから、こうする以外に方法は無かった。この考え方が、テロリズムだということを否定はしない。
しかし、過去の多くの革命や独立戦争をテロリズムで無いと言い切れるのかね?
いや、テロリズムを正当化するわけではない。テロリズムは平和の対局に位置する物だと思っている。
だから私も罰を受ける。当然の報いだ。おそらく私は死刑になるだろう。
許せないのは罪を犯しながら、権力と法を隠れ蓑にしている連中だ。他に方法があれば、殺すことは無かっただろう。
・・・いや、やはり殺していたかな。
これが人の「業」と言ってしまっては、きれい事すぎるけどね。
申し訳ない、愚痴っぽくなってしまった。
とにかく、私のとった行為は許されるものではないということだ。それは承知している。
私とあなたとを隔てるこの鋼鉄製の刑務所の扉が、それをよく表しているじゃないか。
次にこの扉が開くときが、私の死刑が執行される時だろう。
以上が被告人との全会話の記録です。ご承知の通り、被告人は幼少の頃父母を亡くした事故によって、聞くこと喋ることができません。提出してある資料は実際に被告人と私とが筆談したものと、それをタイプで打ち直したものであります。
被告人の犯した殺人という罪は、本人も申しているように決して許すべきではありません。しかしながら、被告人がその許されざる殺人を犯すに至った心境、周囲の状況等を考慮したとき、同じ殺人であっても、快楽的な通り魔殺人と同じく扱うのは、法的公平さを欠くものであると考えます。
よって、被告人の情状を斟酌し、死罪には当たらないものと考えます。
その後も、冷たい鋼鉄の扉は、閉じたままだった。
その空間は部屋とその外部の構造物の場合もあれば、建物の外と内の関係にある空間の場合もある。
その空間は物理的な「物」に限られている訳ではない。
”心の扉”、”未来への扉”、”希望の扉”等、抽象的な空間についても、その空間と別の空間をつなぐ物として、扉は存在する。
扉の材質も様々だ。木の扉、石の扉、鉄の扉、ガラスの扉。
形も四角形が一般的だが、丸や三角の扉が無いわけではない。
なぜこんな扉の話をするのかって?
それは私にとって、扉が特別の意味を持っているからに他ならない。私の人生で扉は重要な意味を持っている。そのことに気づいたのはつい最近になってからだけどね。こうして今までの人生をゆっくり振り返る時間が今まで無かったし、しかも、ここでは人生を振り返る事くらいしかやることが無いしね。
それで、私の人生にとって扉という物は特別な存在だと言うことに気づいた訳だ。
その扉は木でできた扉だった。子供の頃住んでいた家の居間の扉だった。
その朝、何かが割れるガチャンという音で目を覚ました。いつもの事だった。
パジャマから着替えて1階の居間へ降りていく。扉を開けると見慣れた光景が広がっていた。父はバットを手にし、包丁を握りしめた母と対峙していた。父の背後で、先週ガレージセールで父が買ってきた、大きな絵皿が粉々になっていた。
これが、我が家では当たり前の夫婦喧嘩の光景だった。
こんな時の私の役目は決まっていた。抗議の意味を込めて力一杯居間の扉を閉め、近所を散歩して帰ってくる。その頃には、夫婦喧嘩も収まり、母が私の大好きな蜂蜜たっぷりのホットケーキを焼いて待っている。それを父の膝に乗って食べさせてもらう。それは一種の儀式のように我が家では決まり切った事だった。
夫婦喧嘩を見るのはいやだったが、そのあといつもより父も母も優しくなるのがうれしかった。もちろん、蜂蜜たっぷりのホットケーキが食らべれることも楽しみだった。
だけどその日、その楽しみは永遠にやってこなかった。
散歩から帰った私を待っていたのは、頭に突き刺さるような救急車のサイレンの音と、たくさんの大人だった。
私の家から、黒い大きな車が飛び出していた。実際には暴走車が私の家に突っ込んだのだが、その時は家から車が出てきたように見えた。
何かが焦げた臭いに混ざって、ホットケーキの甘い香りが漂っていたのを覚えている。
その後の事はあまりよく覚えていない。
気がついたら、叔父の家にいた。
父と母は即死だったと、後で聞いた。
子供がいなかった叔父夫婦は私を養子に迎え、大学まで行かせてくれた。二人とも私にとても優しくしてくれた。また、本当の子のようにしかってくれた。
叔父の家の居間の扉も、私の家の物と同じ形と色だったが、その扉の向こうには父も母もいなかった。皿や蛍光灯が割れる音も、聞こえてこなかった。
今でも叔父夫婦には感謝している。その叔父は一昨年息を引き取り、叔母もその後を追うように去年死んだ。
「幸せになっておくれ」
それが遺言だった。
私が父と母が死んだ事故について調べていたのを知っていたのだと思う。
父と母の記憶は子供の頃の数年間しかない。しかもその記憶のほとんどは、夫婦喧嘩をしている記憶だ。それでも私は父と母が大好きだったらしい。
私から父と母を奪った相手が憎かった。そう、憎かった。
父と母の事が大好きだったから、その命を奪った相手が憎いのか、私の楽しい時間を奪ったから憎いのか、・・・おそらく両方だと思う。
だから、殺した。全員。
父と母が死んだ事故で、私の家に飛び込んだ暴走車を運転していた人物が、何の刑罰も科されることが無かったと知った時には、激しい憤りで体が震えた。何の刑罰も科されなかった理由が「議員の息子」だと知った時には、社会全体に対しても、怒りがこみ上げてきた。
かつて「議員の息子」だった人物は、「議員」になっていた。もちろん殺人者であるという過去は闇に葬られていた。
私はその「議員」を殺し、私も同じ殺人者となった。
もちろん殺人は許される事ではない。それは十分理解している。
でも、法で裁くことはできなかったのだから、こうする以外に方法は無かった。この考え方が、テロリズムだということを否定はしない。
しかし、過去の多くの革命や独立戦争をテロリズムで無いと言い切れるのかね?
いや、テロリズムを正当化するわけではない。テロリズムは平和の対局に位置する物だと思っている。
だから私も罰を受ける。当然の報いだ。おそらく私は死刑になるだろう。
許せないのは罪を犯しながら、権力と法を隠れ蓑にしている連中だ。他に方法があれば、殺すことは無かっただろう。
・・・いや、やはり殺していたかな。
これが人の「業」と言ってしまっては、きれい事すぎるけどね。
申し訳ない、愚痴っぽくなってしまった。
とにかく、私のとった行為は許されるものではないということだ。それは承知している。
私とあなたとを隔てるこの鋼鉄製の刑務所の扉が、それをよく表しているじゃないか。
次にこの扉が開くときが、私の死刑が執行される時だろう。
以上が被告人との全会話の記録です。ご承知の通り、被告人は幼少の頃父母を亡くした事故によって、聞くこと喋ることができません。提出してある資料は実際に被告人と私とが筆談したものと、それをタイプで打ち直したものであります。
被告人の犯した殺人という罪は、本人も申しているように決して許すべきではありません。しかしながら、被告人がその許されざる殺人を犯すに至った心境、周囲の状況等を考慮したとき、同じ殺人であっても、快楽的な通り魔殺人と同じく扱うのは、法的公平さを欠くものであると考えます。
よって、被告人の情状を斟酌し、死罪には当たらないものと考えます。
その後も、冷たい鋼鉄の扉は、閉じたままだった。

